【授業が時代遅れ】自閉症の子に教えておくべき大切な事

子供達の事

こんにちは、sallyです。

sally
この記事を書いている私は、自閉症児2人を育てるシングルマザーです。

・小学校5年生の特別支援学校の女の子
・小学校3年生の特別支援学級の男の子。

大人になっても、知らない事っていっぱいありますよね。

そして、知っておきたかったこともいっぱいありますよね。

職業の種類とか、世界のお金の動き、失恋した時の気持ちや、税制の本当の事…書き上げるとキリがありませんが、自閉症の親になるかもしれない事も学んでおきたかったです。

そうした事も照らし合わせて、今日は特別支援学級に通う息子の「授業」について思う事が多々あるので言語化していきたいと思います。

教育は大事だけれど「多額の税金を投与した結果がこれなの?」「これ将来の為になってるの?」と思う事を、個人的な見解で突っ込んで行きたいと思います。

自閉症の子に教えておくべき大切な事

結論:将来、役に立つことであって欲しい

私は数学の関数がとても苦手だったし、それ以外にも苦手な授業が山の様にありました。

でも、頑張って自分がやりたい事もがまんして覚えたから無事に学校卒業できたのだけれど、大人になって関数つかったことあったっけ?…なんです。

じゃあ、なんでやりたい事もがまんして頑張って勉強したのかと言えば、テストの為。
そう、テストの為なんですよ。

だから、思うんです。
切り替えが難しかったり、すぐに疲れてしまう自閉っ子たちに必死で将来役に立たない事を教えるよりも、将来役に立つことを教えてやって欲しい。

日本の教育は遅れている

本を読んでいてしったのですが、欧米では小学生が電卓を使用しているそうです。

そもそも、暗算の文化がないためにテストでも電卓を使用するそうです。

そうした授業が当たり前なので、障がいがある子がパソコンやiPadを使用するのも普通の事らしいです。

娘が通う特別支援学校では、授業にiPadが出てきても「ずるい」とは言われないかもしれませんが、息子が通う支援学級ではiPadを息子だけが使用すれば「ずるい」と言う人も出てきそうです。

でも、それはズルいのではなく「紙と鉛筆と暗算と黒板」を皆が一斉に使用している授業が古いのです。

古いというと価値があるように聞こえますが「時代に乗り遅れています」。

学校の外は、テクノロジーとインターネットで溢れていて、諸外国の子達もそれに合わせた授業にスライドしていってる。

だけど、日本の授業は50年前とあまり変わっていない紙と鉛筆、電卓もあるのだけれど数年間をかけて暗算の勉強。

その授業だって一方的な方法で、ついてこれないのなら支援学級で勉強してね、ってちょっとおかしいなあと思うんです。

ただ、ハードだけ導入して完了なわけじゃない

ただ、パソコンやiPad、電卓を導入して「時代に乗れた!」という訳ではありません。

最新の授業に切り替えたから、暗算が出来なくていい訳でも字が書けなくても問題ない訳ではないんですよね。

そしたら「でしょ?!」という人も出てきそうですが、そこでもないんです。

あくまで、本人が「字を書いてみたい」「電卓を使わない場合はどうすればいいの」と思えば、それをサポートする動きがあってもいいと思うんです。

人員不足でそれが出来ないのなら、やっぱりそこはコンピューターとテクノロジーに支援して貰えば?と思っています。

大事なのは、障がいのある子が何かを学んでみたいという気持ちをサポートする仕組みだと思うんです。

大事なお金が、役に立ってない事に使われている

教育そのものも莫大な日本の税金が投与されているんですよね。

日本の教職員は諸外国に比べて給料が高額。

それだったら尚の事、障がいの有無にかかわらず役に立つことを学んでいく必要があると思うんです。

それに、インクルーシブが本来の在り方でもっと導入されてもいいのになあと思っています。

それに、教育における親の自己負担もなんだかおかしいなあと思っているんです。

リコーダーに、ピアニカ、習字道具に、辞典各種、それに生地のわりに高すぎる体操服にしてもです。

親の負担が大きすぎるし、これを買うお金で安いパソコンかってあげれそうじゃない?と思ってしまいます。

ひとり親で、お金に余裕のない私からするとお金は価値のあるものに変えて欲しいんですよ。

だから「既にiPadで高度な検索が出来る息子に、国語辞典や漢字辞典が必要なのか?」って思ってしまったり…皮膚過敏の酷い息子にあの体操服出ないとダメなのか??と思ってしまうんです。

ちなみに私は何を学びたかったのか、考えてみました

じゃあ「何を学べば納得いくのか?!」と突っ込まれそうなので、考えてみました。
ちょっと昭和と今じゃ時代が違いすぎるので、私が現代っ子だったら…という想定であげていきたいと思います。

  • デジタルコンテンツの検索方法とデジタルコンテンツで出来る事
  • 英語、中国語の効率の良い勉強の仕方
  • 「円」は日本の価値である事(ついでにドルコスト法とかも)
  • 水分不足や肥満の恐ろしさ
  • ウイルスの広がり方
  • 料理中に火があがった時の対処法
  • 世界と日本の貧困について
  • オリンピックの選手がどれくらい多くの事を犠牲にしてきたのか
  • 障害を抱えて生まれてくるという事
  • 親になるという事

と、ざっと上がる事を10個だけピックアップしてみました。(まだまだあります)

みんなで同じ授業を受ける事が、障がい児にとっての平等ではない。

何を学ぶのか、どういう学び方をうけて大人になっていくかというのは、障がいを抱える子にとっては物凄く重要な事に思います。

定型発達児むけの説明では理解できず、体も疲れやすく、切り替えも難しい発達障害を抱えた子達にむけて投資される税金が、このままでいいのかなあと思えて仕方がないんです。

どういう学びを受けるのかによって、将来が大きく変わるのになと思っています。

だから、定型発達向けの授業を基準に「同じもの」「同じ学び方」を基準に教育を進めていたら、その子が本当に必要な生き方が手に入らなくなってしまいます。

障がいを抱える人が、自分に必要な支援と必要なサポートの選択肢をたくさん知る(所持する)ことで、出来ることだって増えていくはずです。

sally的なまとめ

義務教育を反対してるわけじゃありません。
教育は必要。

ただ、教育は知らなかった事を知るためにあるもの。
そして、義務教育とは本来、恵まれなかった環境の人が学びのチャンスを得る為にできた教育システムのはずです。

それなのに、一定の(高すぎる基準値)の授業についていけるかいけないのかで、クラスを分けられる歪んだ平等が、発達障害の人達を更に生き辛くしている様に思えてなりません。

理想の学びや理想の習得を間違えてしまうと、人生が大きくずれていくのにな…と、自閉症児を育てながら思っています。

今日はここまで~