支援級OR通常級!?「障がい児も、そこにいる事が当たり前になるように」

子供達の事

こんにちは、sallyです。

sally
この記事を書いている私は、自閉症児2人を育てるシングルマザーです。

・小学校5年生の特別支援学校の女の子
・小学校3年生の特別支援学級の男の子。

自閉症の娘は、毎朝自宅まで、お迎えの車が来る。
特別支援学校まで、福祉送迎で送ってもらい、校門では教職員に待ち受けてもらっている。

私は、そんな娘の事を友人に話す時に「お嬢様学校に通っているうちの娘は~」と話しています。

だって、凄いじゃないですか?
授業だって、息子の学校の一方的に学ぶスタイルとは全然違って楽しそう。
教職員の力の入れ具合や体張ってる感も半端ない。

特別支援学級に通う息子も、娘の学校のその授業スタイルや通学方法に憧れているし、私も小学生だったら「羨ましい!」と思うはず。

で、特別支援学級に通う息子はどうなのか?といえば「通常級には混ざる事が難しいから、仕方なしに支援級で授業している感」が半端ないんですよね。
※個人的意見です。

通常級でちゃんと座って授業うけれるんなら混ぜてあげてもいいけど~感が半端なくて、受けれないなら支援級に戻ろうみたいな感じに受け取ってしまうんですよ。
※あくまで、個人的な意見です。

ちょっと、それ「インクルーシブ」とか「多様性の受け入れ」には程遠いんじゃないかと思っていて、これから進んで行くであろう「ダイバーシティ」に適応できるんだろうかって思っているのも事実。
そうした気持ちを、言語化していきたいと思います。

支援級OR通常級!?

息子は地域の学校に通学し、通常級ではなく支援級に籍があります。
通常級での出席番号はいつも最後の30番とかで、本人も納得がいかないみたい。(そりゃ、そうだ)

インクルーシブに関する記事にも書きましが、インクルーシブの理念の1つでもある
障害者が一般的な教育制度から排除されないこと」って、まだまだ理解されていないんだな~と感じる事ばかりです。

支援級の子に対して「一緒に出来るんだったら、通常級においでよ!」っていうスタンス。
それは、優しいようで、じつは残酷だな~と思っている母です。

本来は、支援級の子だって通常級にいて当たり前だし、皆と同じ場所に居るべき子のはず。
だから、そこに障がいのある子がそこに存在できるように配慮されている必要がある。

でも、これは支援を批判しているのではなくて、人手が足りないとか予算が足りないとか、知識が足りないとかの問題が大きいと思うんです。

学校の質が時代の変化に合わせて高度化しないと、どんなにインクルーシブや特別支援級を形だけとりいれても、障がいのある子にとっての真の平等とは言えない。

障がい児も、一緒に授業を受ける事が当たり前になるように

「障がい児も、一緒に授業を受ける事が当たり前になるように」っていう考えが浸透する事って大事だと思うんです。

だからといって、けして「障害のある子も普通級に入らせろー!」と躍起になっているわけではないんです!(一体どっち?!)

障がいのある子が普通級に在籍するには、やっぱり特別に支援が必要になる。
だから、他の子の授業の妨げになってでも、それらを優先するのが大事だ!それこそ弱者支援だ!なんて事はさすがに良くないと思うんです。

大事なのは障害を抱えていてもそうでなくても、全ての子どもそれぞれの能力に応じた環境とその子が必要としているニーズが提供される事が保障されているといいな~と思っています。

そこに、当たり前に存在する為の支援が整っているといいなと思うんです。

支援児童だけの特別配慮ではなく、全ての子が過ごしやすい様に。

今回の、こうした議題に関しては、支援児童だけの話じゃないんです。

障害を抱えていなくても、勉強についていけていない子が「分からない」と発言しやすい環境を整える事はたいせつ。それだけで、全ての子供にとって教室や授業という場の窮屈さが一気に減ると思うんですよね。

そもそも、教育とか学びって、子どもの「なんで」「どうして」「出来ない」を引き出し、「知らなかった事を知っている状態」にしてあげるのが教育だと思うんです。

だから、障がいがあろうとなかろうと、授業というものに一緒に取りくみ、その子その子に必要な支援を、必要な時、充分と言わんばかりに届けれる環境がそれっている状態…そういうのを提示してあげるのは大人側の役目とか責任だとおもうんです。

大人の役割

子どもに(特に障がいのある子に)、「あなたには手の届かない授業だから、残念だけど受けれないわ」と思わせるような環境があるのなら、それはその子(障がい)が悪いわけではなく、大人や学校・・・そして教育そのものを提供する国に責任があると思うんです。

上述しましたが「障がい児も、一緒に授業を受ける事が当たり前になるように」という考えそのものがもっと正しい知識として広まるといいと思います。

そして本人が苦しい時に、逃げ場?!楽屋みたいな呼吸できる場的な感じで支援級が存在しているといいなと思っています。

実際に支援児童はどれくらい増えているのか??

いったん、ここでちょっと支援児童がどれくらい増えているのか、というのを確認してみたいと思います。

少し古いものですが、文部省の「放課後等の教育支援の在り方に関する資料」から引用させてもらいます。

支援学級の在籍児童が年々増えているんです。

例えば、平成14年は支援学級に在籍する子は全国で81,827人だったのに平成25年では174,881人になっています。
11年間で2倍以上、すごいですね。

こちらは、支援学校や、支援学級、そして通級による指導も増えているよ~という図です。
日本全体の子どもの数自体は減っているのに、支援児童数は物凄く増えている。

そして、ちょっと番外編ですが…こちら。

日本国籍だけど日本語の指導が必要な子も増えているんです。
これは、支援児童という訳ではなく、外国籍の日本での労働者夫婦から生まれた子が殆ど。

これらをまとめると、日本全体で子供の数は減っていて、支援児童は激増している。
でも、日本語を話せない子は増えている…。

って、めちゃくちゃ多様化を受け入れやすい状況は整ってるなーと思っています。
あとは、インフラが整う事や、環境が整えのを待つのみです。

そこが、一番大変なんですけどね💦

「ハンディは補えばい」いという考え方にシフトして欲しい。

「障がい児も、そこにいる事が当たり前になるように」…いや、言葉が違っても宗教が違っても、障がいがあっても、日本で教育を受ける権利があるのなら、全ての子が排除されないで、そこにいる事が当たり前になるべきなんですよ。

これは、私がずっと考えている理想の教育。

うまく表現できないけれど、障がいを抱える人が「かわいそうに思えない」時代がやってきて、我が子にハンディが見つかった親が、「そうなのね~、支援チームに助けてもらいましょ」みたいにサラッと言える時代がくるといいな~と思っています。

まとめ

「障がい児も、そこにいる事が当たり前になるように」

定型発達に生まれた事が良い事で、障がいを抱えた事が悪い事じゃない。

どんな人間も足らない部分はあるのだから、生活において足らない部分が沢山ある障がいのある人を、近くにいる人同士で助け合う事が当たり前になるといいな~と思っています。

ちなみに、最近は翻訳アプリや、YouTubeの利用、そしてデジタルコンテンツでのスケジュール管理をしたりして先の見通しを持てば行けるよ場所に幅が広がったうちの自閉っ子達。
iPadなどのデバイスも必要だけど、出先のWi-Fiが凄く必要だな~と思ってたら、ポケットWi-Fi最高でした。
定額でどこでも使えて、安いし小さい。

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