ALS患者嘱託殺人事件に思う「シンママとしての、自分の人生の終え方」

ひとり親と離婚

こんにちは、sallyです。

sally
この記事を書いている私は、自閉症児2人を育てるシングルマザーです。

・小学校5年生の特別支援学校の女の子
・小学校3年生の特別支援学級の男の子。

今日は、ちょっとセンセーショナルな話題を…。

難病であるALS患者女性の依頼を受け、薬物を投与して殺害されたとして医師2人が逮捕されました。
>>>記事はこちら

今回は、この事件について云々言うんじゃありません。

ただ、この事件で色々考える事があって…
私もひとり親として…
そして、支援の力を借りないと社会生活が成り立たないであろう2人の子供を抱えながら「自分の死」や「自分の死後」について思っている事を、ブログに記録しておこうかなと思いました。

今回の事件について。

今回の事件は、難病ALSで筋肉が動かなくなり、自身の生活の質に辛さを感じて「人生を終わらせたい」と願った事が発端だったようです。

少し、想像してみてください。
筋肉が機能しなくなり、意識はあるのに体を動かす事すら出来ずベッドでずっと横になっている毎日を。

もし自分がそういう状態になったら、どうだろう。

意識はあり目も見えているけれど、全く動くことが出来ない毎日。

眼球だけ少し動く為に、それを利用したテクノロジーでコンピューターに意志を打ち込み伝える。

そんな人生を迎える事になったときに、どう思うでしょうか。

まだ、可能な限り生きたいと思う人もいるでしょう。
そして、反対にもう人生を終わらせたいと思う人もいるでしょう。

後者である「人生を終わらせたい」と思う人を苦しみから解放してあげたいと思う医師の人たちが今後また出てくれば、今回みたいな事件はまた起こってしまうのかもしれません。

安楽死について。

安楽死は今の日本では、制度として認められていません。

どんな状態であろうと、死ぬことがないように治療されていきます。
たとえ、残りの人生をずっとベッドの上での人生を送る事になったとしても、沢山の機械やチューブをつけられて生かされます。

本人が延命治療を望んでいなくても、その家族が何を言おうとも生かされます。

なぜなら、そうしないと医師は今回の事件の様に犯罪者にされてしまうからです。

親として思う事。

我が家は例えるにあたって、特殊なのかもしれません。

私自身がシングルマザーで子供達は2人とも自閉症。

そんな社会的弱者の3人が揃った家族として、私が生涯寝たきりの状況になったらどうありたいのか?

考えるだけで、胸が痛くなる。

色んな考えが頭の中を駆け巡りましたが…最終的にはこう思いました。

もうこの両手で2人を抱きしめる事が出来ない事や、子供達2人が困っている時にすぐに駆け付ける事ができないのなら私は、この世を去りたい。
そんな風に思います。

子供達の気持ちは考えないのか?

そんなの、親の都合だー!と反論が来そうですが、もちろん親として子供達はそんな時どう思うのかも考えました。

寝たきりで喋る事すら出来ない私が生きている事で、子供達の生きる糧になるならどうだろうか?

これは親として、すごく深く考えました。
それでもやっぱり私は、安楽死を選ぶと思います。

なぜなら、私の考えの根底に「他人の人生を生きない、自分の人生を生きるべき」という思いがあるからです。

子供達にも自分の人生を生きて欲しいと願い、その為に私も自分の人生を生きるべきだと思っているからです。

そして、自分の大切な家族に難病が降り注いだら?

何より考えたくないですが、もし自分の家族や大切な人が、そうした難病になった場合どうなんだろうか?

上述では、私は自分の安楽死を認めておきながら、最愛の我が子の安楽死を選ぶことは絶対にできません。

もし「もう延命治療はしないで欲しい」と、子供達が望んでいたとしても、「じゃあ、本人の意思を尊重してください」と言える勇気は私にはありません。

ずっと、生きて欲しいからです。

でも、この際に最愛の人を不幸にしているのは、他の誰でもない…私自身になってしまうのです。
本人は「もう生きたくない」と、苦渋の決断をしたのにも関わらず、私はそれを許す事が出来ない。

そう、たとえ親であろうと、自分の人生を誰かが決めるというのは時に残酷です。

世界の安楽死

オランダは2002年に初めて安楽死を合法化しました。
その後、ベルギー、カナダ、ルクセンブルクでも合法化されました。

アメリカでも、一部の州では安楽死が認められています。

スイスのようにはっきりとした法律はありませんが、「利己的な動機」以外の自殺ほう助は処罰しないという刑法解釈から安楽死を容認しているところもあります。

私は政治的にも、医療知識についても良く知らないただの主婦なので、はっきりとした意見を主張することに怖気づいてしまいますが、ちょっと言わせてください。

日本ではなんとなく、こうした安楽死の問題を論議する事すら良くない事という雰囲気があります。
とても大事な事なのに、個人では決める事が出来ず国や政府が決める事といった風潮があるように思います。

本当は、いずれ迎えるべき「家族の死」「個人の死の在り方」「自分自身の人生の終え方」って、きちんと向き合って考えておいた方が良いはずです。

もちろん、考えたくないのは百も承知だけれど、だれもが必ず迎える「死」について、考えておくべき時代が到来しているんじゃないかな~と思っています。
しかし、個人が考える場も聞く場所もない。

自分の事を自分で決める

少し話がそれますが、小さい時に父親がクイズを出してくれました。
生きている間に、自分で決めれない事ってなーんだ?
私は、正解を言えませんでしたが、こたえは「自分の名前

人生で、自分で決められない事など名前くらいしかない。

本当にそう思うし、そうあって欲しい。

しかし、日本では自分の事を誰かが決めている場合が多いんです。

じゃあ、誰が決めているのかといえば国や親、グループ単位で決めるといった文化が強いんじゃないかなと思っています。

個人的には、風習や国、グループ単位での幸せより、個人の幸せのを尊重すべきだよな~とおもっています。

私自身を含めて、自分の意見を持つこと、自分の事は自分で決める力が、私たち日本人には足りてない。

そうした、風習みたいなものの延長線上に今回の事件もあるんじゃないかな?と勝手に嗅ぐっている所です。

シンママとしての、自分の人生の終え方についてのまとめ

かなり話がそれましたが…

シングルマザーや、障がいを抱えた子がいる家族、そして身寄りのない人にとっての終末期医療って、根が深い問題だと思うんです。

そして、誰もがいつか必ず向き合わないといけない問題でもあります。

もちろん、本当は生きたいのに殺されてしまうような事があってはならないし、安楽死を推奨しているわけではありません。

ただ、人間はいつか必ず人生を終えてしまうものです。
とても大切な事なのに、論議する事をはばかっている場合じゃない。
そんな風に思っています。

「自分の人生の終え方を考える、そして自分の意志を尊重する」大事な事だと思うんだけどな…。

今日はここまで!

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安楽死と愛について取り扱われた作品で、私も深く考えるものがあった素晴らしい作品です。
「世界一嫌いなあなたに」


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