生き辛い自閉症児は環境を変えるべき【置かれた場所で咲かない為に】

子供達の事

こんにちは、sallyです。

sally
この記事を書いている私は、自閉症児2人を育てるシングルマザーです。

・小学校5年生の特別支援学校の女の子
・小学校3年生の特別支援学級の男の子。

先日、書店で見つけたとあるタイトルの本「置かれた場所で咲きなさい」。


これは、我が子に見せたくないタイトルだなあと思ってしまったのですが、内容が気になったんですよね。

帰宅後、ネットで内容を調べてみたら本から抜粋された一文を見つけました。

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。

咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

引用:置かれた場所で咲きなさい:渡辺和子著

綺麗で美しい話ではあるなあと思いますが、自閉っ子たちにはきつい話だなあとおもいます。

その事について、私の考えを述べていきたいと思います。

生き辛い自閉症児は環境を変えるべき

私は、障がいを抱える我が子達と生活をする中で「郷に入っては郷に従う」という、日本人ならではの風習に疑問を抱くようになりました。

そうした「郷に入っては郷に従う」と「置かれた場所で咲きなさい」には通じるものがあります。

それは、環境を変える事が難しいがゆえに、自分自身が我慢を重ねて忍耐強くなっていく事を美徳化した言葉なのでしょう。

でも、一般的に考えて障がいを抱えている人が定型発達の人について行けるように頑張るなんて異常です。

障がいを抱える人が、歯を食いしばって頑張る姿は美しいストーリーになります。

そうした、頑張りがテレビ放送までされて涙を流す人もたくさんいます。

しかし、障がい者本人はそれで幸福だったでしょうか。

皆が出来ている事を、自分は頑張らないと出来ず…そして、歯を食いしばって定型発達の人と同じ方法で頑張れば、周囲は自分を見て涙をながす。

…そう、自分が普通の事を頑張ると感動され泣かれるんです。

その気持ちを考えると胸が痛くなる。

次は、例えを少し変えて説明します。

咲き誇れる場所へ移動

たとえば、プランター栽培を始めるとしましょう。

あなたはチューリップの球根を植え、同じプランターにサボテンを飢えてしまいました。

毎日、熱心に水やりをしていると、チューリップは芽が出てきましたが、サボテンは腐れかけています。

どうしますか?

「頑張れ、置かれた場所で咲きなさい」と思いますか?

いやいやいやいやいや…違いますよね。

サボテンそのもの生き方を変えようとはしませんよね。

鉢を変え、場所を変え、腐れそうになったサボテンへの肥料などを調べて対応するのではないでしょうか。

サボテンを腐らせたくなければ、適した環境を提供しようと頑張るはずです。

今度は、これを日本の教育に当てはめて考えてみます。

日本の教育は一律すぎる

日本の教育は、先ほどのプランターと同じで、チューリップの様な子にもサボテンの様な子にも一律ですよね。

ひとつの教科書、そして指定された鉛筆とノート。

そして、そうした決まりに対応できなければ校則違反となったり、授業についていけないとされたり…。

先生だって、教科書が一律なことで学期内にここまでは教えなきゃいけないって業務上の理由もあると思います。

でもその事が原因で、ついていけていない子のフォローにまわる時間もないなんて何だかおかしいなあ。

そんな「とにかく、ついてこい!」「遅れないようにね!」「ついてこれないなら、努力不足」ってなっちゃうっ教育は残念ですよ。

本当は授業(学び)って、生徒の分からないや知りたいを引き出して「知らなかった事を知っていく事」だったはず。

ついていけない事が恥ずかしいのではなく、子供たちに学びを教える場で「分かりません」「手伝って下さい」が言えない環境そのものが恥ずかしい制度だと今一度考える事が大切だと思う。

個別の対応さえすれば、学ぶことが出来るのに

  • 授業についていく事が出来ていない子
  • 大勢の中では集中力が保てない子
  • 学習障害で字を読む事が出来ない子  など

そうした子には、困っている部分を補う事で学ぶことが出来る。

だから、障がいを抱えている不便さがあるのにも関わらず、同じやり方でついていけない事を「障がい」と読んでいる様に聞こえてしまいます。

本当に、その考え方はおかしいですよ。

不便さや生き辛さを補うサポートがあればチャレンジ出来る子が「障がい」ですよ。

前者と後者は似ている様で、「不幸な人」と「不便な人」を大きくとり間違えている考えだと思っているんです。

だから、障がいを抱えているとは「あなたには特性に問題があるから支援級(支援学校)に行きましょう」で済ませる問題ではないはず。

自閉症の子達は出来ない子ではありません。

だんだんと、私がヒートアップしてしまったので、ここで一度落ち着いて書き改めますが…。

でもやっぱり、一律の授業に参加する事が出来ないからといって、分けて考える風習はよくない。

その良くない事のひとつに、目に見えない障がいの事について何もしらない子供たちにも悪影響ですよ。

そうした、分けて考える大人の行動が自閉症の子達の事を「出来ない子」と思わせるきっかけにもなります。

関わり方によっては、固定概念を以下のモノに変えることだって可能なはず。

自閉症児は…
  • 出来ない子ではなく、サポートがあれば出来る子
  • 困らせる子ではなく、困っている子
  • 授業についていけないのではなく、配慮があれば取り組める子
  • 迷惑をかける子ではなく、迷惑をかけたくないと思っているのに困り感が多すぎて結果として迷惑に思われてしまう子

本当は、しっかりとやり遂げたい気持ちでいっぱいな自閉症児たち。

それなのに彼らに、なんの配慮も施さずに何度も失敗を重ねさせている場合じゃないですよ。

その子にあった配慮を考え、その子がわかる伝え方を見つけれるように動いてほしい。

自閉症児の問題行為に疲れてしまっている支援者だって、彼らが落ち着いて過ごせる状態になればお互いが過ごしやすいのではないかな。

障害を悪いものとしない

で、なんで配慮がこんなにも足りないんだろう…と考えてみました。

私なりに出た結論は、やはりまだ障がいに対してネガティブなイメージが社会全体に強い事が原因だと思いました。

社会の中での誰かの困りごとは「社会問題」として、制度をかえ体制をかえ…と変わっていけるチャンスなのですが、今の日本では障がいがあるという事を含め、様々な問題に蓋をするような文化が出来上がってしまうんですよね。

臭いものに蓋をする日本の文化

日本人は、臭いものにすぐ蓋をします。

企業に超過労働でうつ病になる人が出たとしても「そんな事実はありません」として終える事もある。

影響力の強い芸能人が、自ら命を絶っても尚「プライバシー」や「働き方問題」「産後問題」について、問題視されるわけではなく制度を変えていこうとする動きもない。

「問題視されていたじゃん」と、思ったのならばそれはワイドショーのネタとして話されているのを多く見ただけです。

「苦しんでいるという事実」は、あってはならないものとされてる事も多いですよね。

おかしいなあ…。

まとめ

まとめ:適応できないのに適応しようとする努力なんて時間の無駄です。

置かれた場所で咲くのではなく、綺麗に咲き誇れる場所に移りましょう。

その、移動する最中には転ぶことも落ち込む事もあるでしょう。

でも、辛い事に耐えて我慢し続けるより遥かにいいですし、周囲に合せる努力ばかりしていれば生き辛くなって当たり前です。

もう、そんな時代ではありませんよ。

今日は、ここまで~

おまけ

実は、この記事を書くにあたって、私の大好きな橘玲さんと関われたという手が震える事件がありました。

全然かかわったとも言えない程度ですが、Twitterって本当凄いなあと思います。

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