子育てのゴールは自立だけじゃない!育児のゴールって何?

子供達の事

こんにちは、sallyです。

sally
この記事を書いている私は、自閉症児2人を育てるシングルマザーです。

・小学校5年生の特別支援学校の女の子
・小学校3年生の特別支援学級の男の子。

障がいがある子を育てていると、いつまでも続く世話に疲れてしまい「何のために育児をしているんだっけ?」と育児の楽しみを見失いそうになります。

周りのママ達と自分を比べると、どんどん子育てに解放されて自由になっていく友人に比べて「私は、いつまでも育児をすればいいんだろう…」と。

そんな風に思ってしまう事はありますが、障がい児の育児とは今の段階ではそうしたものらしいです。

早くもっと生きやすい時代になってほしい!と切実に思っています。

しかし、障がいのある子もない子も、育児のゴールは一緒。

よく育児のゴールは「自立」と言われていますが、ちょっと考え直す事があったので書き残しておきたいなあとおもいまして。

そして、最後に障がいのある子の「自立」についても、触れていきたいと思います。

育児のゴールってなに?

結論:育児のゴールとは、その子の幸せを思う事

「なんだ、当たり前の事じゃん」と思いますが、親子間の関係では意外とできてない人が多く難しいものなんだと思います。

子供が求める幸せと、大人が求める幸せ

「育児のゴールは、その子の幸せを思う事」と簡単に聞こえますが、親という生き物は実際に育児現場に立てばそうした事を忘れます。

幼稚園や保育園時代はまだ遅れが気になる程度で済みますが、学校に入って一律の教育がスタートすれば周囲の子との差が気になり、熱心に指導や教育をしてしまう親も多い。

親が子供の為にと思って願うその学力や生活スキルの向上は、子供の事を思った愛情だとは思いますが、子供が求めているものとは違います。

子供達が親に求めているものは、教育や指導ではなくて親にしか貰えない愛情。

それにも関わらず、親は周囲から遅れをとらない事こそがこの子の幸せに繋がるのだと思って先走る。

実際によその子と自分の子を比べるようになると、子供にとっての幸せとは何かを考える事すら出来なくなってしまうのが親なのです。

親の固定概念

なぜ、そんな幸せに対する考え方が親と子でずれてしまうのか。

それは、生きている時代が違うからです。

たとえば、「高い学歴さえあれば、高い給料を得れる職を手にする事が出来る」という時代に生きた親たちは、我が子の将来もきっとそうに違いないと思い、それに必要なスキルを与えようと思います。

子ども時代の無邪気で貴重な時間を奪ってまで、高い学歴を得る為の学びを与える。

更には、自分の生活資金を削ってまで投資しする事が、その子の幸せに繋がると本気で思っているからです。

でも、それは親が生きてきた時代の幸せであって、いまの子ども達が大人になった時の幸せとリンクしていくとは私には思えないんですよ。

時代によって幸せの定義が変る

昭和生まれの私の生きてきた時代には
「学業に力を入れて、いい成績を残し、いい大学を出て、いい仕事を手に入れる事がこの子の幸せである」という風潮が色濃く残っていました。

なので、そうした指導を一生懸命する親もたくさんいたはずだし、そうした親の理念に基づいて行動している子供もたくさんいました。

これからもそうした、学歴が高い人が高い給料を得れる時代は残っていくかもしれませんが、成立しにくくなっていくのではないかなと思います。

私は、社会人となって20年の間に大きな企業が倒産していくのをたくさん見ました。

そして、大手で安定と言われていた企業がとても不安定になっている姿を、現在も目の当たりにしています。

いずれ、憧れの職業と言われているところも、業界ごと一気に無くなるのではないかとも思っています。

そうした親の信念を信じてやってきた昭和うまれの人たちが「親の言うとおりに、勉強してきて今は最高だ!」と言っているのを私は耳にした事がありません。

幸せってなんだろう

じゃあ、親が子供に与えてあげれる幸せって何だろうって話ですが、幸せは「未来の幸せをつかむために、今足りない部分を補う事」ではありません。

今しかできない事、今しか手に入らないものを感じ取っていく事だと思います。

子供達が周囲に遅れをとっている事に劣等感を感させる時間を作る事よりも、何か楽しい事を考え好奇心をチャレンジにすり替える事が出来れば、大人になった時の自己肯定感が変ってくるかもしれない。

それに、「失敗は悪」と教え込むよりも「失敗から得れるもの成功より遥かに大きい事」を子供のうちから習得できれば、大人になってからの不安感だってかなり軽減するはずです。

でも、育児をしているとそうした事にさえ気が付く事が出来なくなってしまうのが「親」という生き物なのです。

親は、子どもを周囲から遅れない一律の授業について行かせることが、子供のためになると本気で思ってるのだから、それもある種の愛情です。

しかし、とっても辛く悲しい愛情なのです。

がむしゃらに、今を犠牲にしてまだ誰にも分からない将来を親が勝手に決めるのは、大きすぎる罪だとおもえてまりません。

障害者の自立とは

少し話がそれますが、障がいのある子を抱えていているのでこの話はしておきたいと思います。

みんな自立に向けて子育てをしているわけですが、一般の人の自立と障がいを抱える人の自立は、少し定義が違う様に思います。

障がいがあるという事は、誰かの助けを借りながら生きていく必要がある。

だから、定型発達の人たちの様に、稼いだお金で自分だけの力で生活していく事を自立としてしまっては、その道のりが険しすぎます。

障がいを抱える人にとっての自立とは、「辛い」「苦しい」「手伝って下さい」と言える事が自立に繋がるとおもっています。

それに、「~をしたい」「~を自分の力で行いたい」「~にチャレンジしてみたい」と、希望を支援者に伝える事も障がいのある人にとっては、ある種の自立なんだろうなあと思っています。

自立の為の依存

そうした「自立」の為には「依存先」が沢山ある事が大切になってきます。

自立と依存とは相反する事に聞こえます。

しかし依存先がたくさんあることで「ここがダメだったら、ここに頼んでみよう」と断られても折れない心が、障がいを抱える人の自立に繋がっていくと、私は思っています。

これはある種、定型発達の人にもいえますよね。

「ここがダメでも、こっちの作戦がある」といった心強さがあれば、何かに執着しなくても済む。

例えばですが、無能な彼氏とか、高価だったけど着ていく場所がない服とか…💦

まとめ

というわけで、障害のある子の子育てのゴールとは「その子の幸せを思う事」。

簡単に聞こえるけれど、生きる時代が違い、複雑な愛情関係にある親と子の間ではとても難しい事。

私自身も愛情が偏っていないか…そして重すぎないか…そして自己中心的ではないか…と日々反省する事があり人ごとではありませんよ、本当。

自分の生きてきた時代の幸せではなく、その子が何を幸せと思うのか考える力も親として試されます。

親となっても、私達は本当の意味で大人らしくなり切れない生き物なのでしょう。

しかし、そういうのも育児の醍醐味なんじゃないかなあと思っています。

育児のゴールは、立派ではなく幸せを願って。

今日は、ここまで~!