自閉症児のパニックを減らす方法|人として見つけるべきこと

自閉症児のパニックを減らしたいと思ったことはありませんか。

 

自閉症児2人の母である私は、常に思っています!

 

自閉症へ必要なのことは、社会的理解であり配慮であると考えられています。ただ私は、本人が「表現方法を見つけること」も、とても大切なことのひとつだと考えています。

 

今回は、自閉症児のパニックを減らすためには「表現方法をみつけること」だと強く感じる私の考えをお伝えしたいと思います。

自閉症児のパニックの原因と対処法

自閉症児のパニックの原因について、以下のようなものがあります。

  • 思い出した(フラッシュバック)
  • 今からの予定に不安を抱えていた(見通し)
  • 感覚が嫌だった(食感、触感、眩しさ、音)

 

など、パニックの原因としてよくあげられるものです。

 

私の子ども達も、このようなことが頻繁にパニックの引き金となります。

 

その対処法として「どうするべきか」といった談議になると「原因を取り払う」「落ち着ける場所に本人を移す」(他にもありますが)などを支援者の方々から提案を受けます。

 

支援者の方たちは支援のプロですし、私もそのアドバイスを信じて実行しています。ただ、もう少し手前の対処として、本人が楽に生きるためにはどうするべきか。要はパニックを軽減させるには、どうすればいいのかについて私は、常々考えています。

 

そのためには「表現方法を見つけること」だと考えます。言葉での表現が難しいようであれば、何か別のことで自分の中にある「なにか」を発信できる手法を見つけてほしいなと願っています。

 

たとえ、それを周囲が「コダワリ」と呼んだとしても。

表現方法|人はみんな心のなかに「なにか」を持っている

人は誰しも自分のなかに、常に「なにか」を抱えています。私が思うに、主に次の3つではないでしょうか。

  1. 情報(日常会話など)
  2. 喜怒哀楽といった感情
  3. 言葉に出来ないなにか

 

特に①と②は、言葉・表情・文字や絵といった伝達方法を用いなければ他人に理解されることはありません。③は、才能やスキルで表現されることが多いもの。たとえば、歌手や料理家、仕事を通して人の役に立つ人も含まれます。

 

自分の中にある「なにか」を表現することで、誰が喜んでくれたり、仕事に繋がったりすることは幸せなことかもしれません。

 

人は何かを通し、自分の中にある「なにか」を伝え理解されたい、認められたいといった欲求を持っています。

自閉症児|表現ツールを獲得して欲しい

自閉症の子達は人一倍敏感な子も多く「不安や恐怖」を、一般の人の数十倍抱えているのではないかと思います。

 

そのような子の中でも特に言葉を持たない子にとって、自分の不安や恐怖を表現し理解して貰うことが出来れば、毎日がどれだけ安堵できるようになるでしょうか。

 

多くの人が簡単に表現できる「怖い」「嫌だ」といったことを伝えるツールを知らない子ども達は、とても苦しいことでしょう。自分がどれだけ恐怖を感じているのかについて、周囲に理解して貰えぬことを繰り返せば、心を閉ざすことにもなってしまいかねません。

 

自分の気持ちを表現する方法にも出会えず、周囲の理解も乏しい。さらには、自分ではコントロール不可能なパニックにより大切な人たちを傷つける毎日。「苦しいね」の一言で片づけれることではないはずです。

 

娘のこと・息子のこと

ここで少し、我が家の娘と息子のことを話しさせてください。(障害を抱える子の苦労話は「散々聞き飽きた!」という人はここはすっ飛ばしてください)

 

娘は表現方法が限りなく少なく、コミュニケーションもほとんど取れません。「嫌だ」なと簡単な言葉を発するときもありますが、慣れた場所でなければ応用がききません。

 

そのため、パニックが非常に多い。自分ではコントロール不可能なパニックを、幼いころから何度も繰り返し続ける苦しみを考えると、親として胸が痛みます。親や兄弟、友達や日頃から信頼している支援者に噛みつき、そして自分までも傷つける。

 

自分に見合った表現を見つけることが出来ないまま、パニックばかりを繰り返す人生を一番近くで見続けてきて「苦しそう」だねという言葉で片づけていいものかどうか、自問自答し続けています。

 

そのような姉の姿を、赤ちゃんのころからずっと見てきた息子も、苦しみが年々増しているように見えます。息子は、言葉も出るし絵も好きです。自分なりの表現方法を、探すことの出来る人間です。

 

自分の中の「なにか」を表現するツールを多く持っている彼の生き辛さは、どこにあるのでしょうか。彼は、自分のキャパシティ以上の「なにか」に対処する力が、一般的な人に比べて弱いのではないかと、親として感じています。

 

そんな2人の子ども達に、私の対応が適切でない場合のことも多いものです。私自身も自分の中の「なにか」を表現できるツールが不足しているために、ときに育児や暮らしに辛さを感じています。

 

どこの家庭にも「大きな喧嘩」や「育児上のトラブル」は、あることでしょう。ただ、我が家の場合は常に、存在しない敵と戦っているかのような不安や緊張感があるのです。時限爆弾が爆発するような、いえ、もう少し柔らかいい言い方をすると、何かのスイッチが間違って入ってしまうような娘のパニックを心配しながら暮らしています。

 

今年の夏で、9歳と12歳になる子ども達は、これから思春期に突入します。自分の中の表現しきれない「なにか」や、周囲と自分との違いに、自問自答を繰り返すことも増えていくはずです。

 

友達との関りが限定的だったり、少なかったりするために、親の知らない自分の顔をもつことや、友達と分かち合うことで自分を確立することが今後出来るのかも気になるところです。

 

気持ちを共有する人が、一般的な子達に比べ少ないために「自分を理解してくれる人は、誰もいない」「誰も自分の気持ちなど、わかりっこない」と、思うこともあるかもしれない。その気持ちに至るまでのプロセスを考えると、胸が痛くなります。

 

子ども達のそうした「理解されない」といった諦めが、拒絶・心を閉ざす・暴力といった歪んだ表現になってしまう可能性だってある。そうならないようにするためには、親として何が出来るのでしょうか。

 

表現の限定的な子ども達にとって、親や支援者の助けだけでもまだ不十分。それには、社会全体の理解がもっと、もっと、もっと必要だと感じています。

表現方法をみつけることの意味

人は誰しも自分のなかに「なにか」を抱えています。その「なにか」を表現できるツールを、自閉症を抱えている子達に見つけて欲しいと思っています。そして、見つけるためのサポートを大人がすべきだと感じています。

 

コダワリと世間が呼んでもいいから、人に大きな危害を与えるものでなければ「自分の表現」として大切にして欲しい。

 

障害児育児をする中で、私は多くの社会的理解を求める言葉を発信・発言しています。その気持ちは変わりません。ただ、教育者や支援者は理解だけではなく「その子に見合った表現を探す」といったことも加えてみてはいかがでしょうか。

 

皆と同じことを出来るようになるように導くのが支援者・指導者ではありません。そんなことをしていては、自閉症児にとっては生き辛さが増すばかりです。

 

自閉症の親として感じるのは、生きるのだけでも大変な子ども達に、「あれしろ」「これしろ」「これ頑張れ」と、求められるものが多すぎではないかなと感じます。そして、世間から母親に求められるものもまた、多すぎではないかなと感じています。

 

パニックを起こさないようにするのではなく、パニックの代わりの表現を見つけることにも注目して見たらどうかな。

 

今日は、ここまで~♪

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