【自閉症児の親は大変だからこそ楽しく】私の私による私のための筋トレ|一日をOKにするために

在宅でライティングの仕事をしています。

 

昼食を軽くとったあと週に3~5日、周囲に驚かれるほど本気で筋トレをしています。

 

数年前に筋トレを始めた当初は「体力の強化」「衰える体の緩和」が目的でした。今では、筋トレをすることで心身のバランスが整うために、トレーニングが私の暮らしの一部となっています。

 

運を動かすと書いて「運動」と読みますよね。運動をすることで「悲しい気持ち」や「苛立つ心」などのネガティブさを「まあ、いいか」「忘れよう」と、いい方向へ切り替えることが語源なのかもしれません。

 

心と体は繋がっています。継続的な運動で、本当に運命が動き出すと私は実感しています。

 

運動だけに限りまん。「残念な一日」や「辛かった今日」を「OK」に変えることが出来る「自分のための何か」があるというのは素晴らしいこと。今回は、私が日々感じるトレーニングライフによる「毎日をOKにすること」の大切さについて、筆を執りたいと思います。

私の、私による、私のための筋トレ

私は、トレーニングが大好きです。

 

子どものころから体を動かすことが大好きで、学生の頃はテニス、社会人になってもランニングにスイミング。時間があればスポーツジムへ行き体を動かしていました。一緒に取り組んでくれる仲間がいなくても、時間さえあれば取り組みたいと思えるほど好きなことが「体を動かすこと」でした。

 

そんな私に10年ほど、楽しく体を動かせない「育児」という時期が訪れます。

 

想像力の乏しい私は、自分が子どもを持つまで完全に「育児」を甘く見ていました。独身時代を謳歌していた私は「育児は大変」と、聞きはするものの「まさか、そこまで」「でも、子どもと遊ぶって楽しいんでしょ」くらいにしか思っていなかったはずです。

 

育児とは、それまで当たり前に手にしていた「自由時間」を全部奪いさります。可愛い顔した、とても小さな愛らしい我が子が、驚くほど大人の時間を奪い始めます。

 

それだけではありません。育児とは、時間以外にも体力や精神力も奪いとります。

 

急激な肉体の変化が現れ、メンタルも結構やられました。私は育児をしながら想像を絶する加齢を、両手広げて受け入れることになったのです。

 

母親になり、育児と家事に追われ、運動する時間がなくなっただけでなく「運動したい」と思う気力すら失せました。

 

あんなにも活動的だった私は、すっかり変わり果て「寝ていたい」「動きたくない」「公園の長い階段が辛い」「体力がな…い…」と…。なんとも清々しい気持ちで、老化と怠け心を手に入れ、加齢という長い階段を上り始めたのです。

あなたはどっち?「自分を虜にする趣味」と「時間を埋めるための趣味」

趣味は、2種類あります。

 

ひとつは「夢中になる趣味」。やりたくて仕方のない、めり込んでいく趣味。

 

もうひとつは「とりあえずの趣味」。時間が無駄に余っているため「とりあえず始めてみよう」と、時間を埋めるために始める趣味です。

 

「とりあえずの趣味」が「夢中になる趣味」に変わることもありますが、「とりあえずの趣味」のまま、周囲に合わせてなんとなく続けている人も極めて多いものです。

 

私は「夢中になる趣味」を失ったことで「とりあえずの趣味」を探すようになりました。本当は、独身の頃みたく「夢中になる何か」といった情熱に焦がれているのだけれど、それが出来たいための行動です。

 

幼稚園ママとお茶会に行ったり、好きでもない料理をやってみたり…。
一時は楽しいのだけど、なんだか虚しさも残る。

 

時間を失うと同時に、愛するものを手に入れることで気付かされることも多いもの。

 

独身の頃は、愛情溢れる母親像に憧れていたのに、母親になると今度は自由に生きる人たちを見て、壮大な置いてけぼりのような感覚をくらった。自由に生きる人に、強く強く憧れ始めた。

 

私は健康。子どもも可愛い。生まれてきてくれたことに心から感謝している。申し分ないはずの人生に、なぜこんな気持ちになるのだろう。

 

似たような苦労を抱えながら「今」を楽しむ幸せそうな人を見て、無いものねだりを続ける自分は「頭がおかしいのではないか」と、感じることもある。だけどきっと、愛あるところには、孤独や怒り・憎しみや妬みといった感情が多大に増えるからだ。

 

育児をするということは「母なる愛」だけではなく、取り払いたいような感情の多くを同時に抱えて生きるのだと、今の私は考えています。

 

といった訳で「本当は好きではない何か」で、埋め合わせをする数年間を過ごします。もちろん母親になれたことは素晴らしいのだけれど、ひとりの女性としての自分探しに迷宮入りした数年間でした。

第2の人生|育児ブランク後の運動は素晴らしかった

当時専業主婦だった私は、下の子が幼稚園に通い始めたことで、数時間の自分時間を手に入れます。それを期に、スポーツジムで「筋トレ」を始めました。別にダンス教室でもヨガ教室でも、テニスサークルでもよかったのだけれど、限られた時間のなかで、他人の都合にあわせることで起こるフラストレーションを避けたかったのです。兎にも角にも、運動の再開です。

 

当初は「体力の強化」「衰える体の緩和」が目的でした。久々の運動で疲労もありましたが、なにより「育児だけだった私」から抜け出せ、そんな自分に少し酔いしれていた部分もありました。

 

継続して筋トレを続けていると、老化に逆らい体がいい状態へと変わり始めます。体力的なことだけではありません。心と体は繋がっています。今では筋トレをすることで、自分の心身のコンディションを整えられることを実感しています。とても貴重な時間で、私のライフスタイルに欠かせないものとなりました。

 

ひとり親や障がい児育児は、何年たっても上手くなりませんし慣れません。毎日全力ですし、日々手探りです。ライティングの仕事においても、まだまだ未熟。編集をして下さる方の足をひっぱり、時間を奪ってしまっていることを申し訳く情けないと感じ、煮詰まることも多いもの。

 

そこから、抜け出すサポートをしてくれるのがトレーニングの時間です。

 

一時期、ライターとして早く成長したいと昼ご飯を食べず没頭する日が続いたこともありました。その結果、成長どころか仕事も育児も暮らしも、恐ろしく迷宮入りし始めたのです。

 

ひたすら仕事をしているのにも関わらず、効率も成果も悪くなる一方で、子どもにも苛立つ日々、さらに肌荒れまで始まってしまい、生活を見直すことにしました。

 

2時間に1度は休憩。3食しっかり摂る。昼休憩に1時間運動を取り入れるようにしました。夜にも仕事をするのだけれど、日が変わる前には必ず布団に入るといったルールを自分で作りました。

 

すると、仕事効率も成果も子どもとの向き合い方もいい方へ改善し、肌荒れも治り心身のコンディションも整い始めました。

 

スポーツジムでは、素敵な出会いもありました。知り合った中には80歳の高齢の方もいます。脳出血で倒れられてからはジムでは会うことはなくなったのだけど、一命をとりとめ復帰されてからも関係は続いています。毎朝「おはよう」と文通のようにメールを送り合う間柄。

 

現在のパートナーともスポーツジムで出会いました。その他にも、スポーツを通して笑顔を共有する、世代の違う老若男女の知り合いも増えました。やっぱり運動は、言葉のごとく運が動いていると思えて仕方ありません。

毎日を「OK」に変える自分のための方法を探して

40代に突入し、最近よく思うことがあります。誰しも、どんなに自身に満ち溢れた状態だとしても、些細なことで「自分はなんて弱く、未熟なのだろう」と感じるようなことは、必ずおこりうるということ。

 

大切なものを突然に失うこともあれば、悲壮感に襲われるような出来事が降り注いでくることもある。

 

そうしたときには、過去に培った「強さ」「自己肯定力」「権威性」など瞬時に消え去ってしまうものです。それどころか、喪失感や虚無感を手にすると、一瞬にして別人のように脆く弱くなってしまうときもある。人間とは、それくらい弱い生き物なのです。

 

弱った自分から立ち上がる些細な行動や、気持ちを切り替える他愛もない行動を知っていることが、どんなに心強いことか。自分のコンディションを整えるツールを知っているか知らないかで、その後の状況が大きく変わることもあります。

 

私にとってのツールは、トレーニング。

 

ダメだった今日と自分をOKにできる、自分の自分による自分のための何かを知っているということは、本当に心強いものです。今弱っているあなたに、私に何ができるわけではありませんが、少しでも支えるお手伝いができるのであれば…

 

これからの長い人生を少しでも豊かに生きるために「今日という日を、OKとする」「自分をOKとする」そんな、自分なりの方法を、ぜひ見つけてみていただきたいと思っています。

最新情報をチェックしよう!
>