自閉症児の母親が伝える「障害への理解」ってなんだろう

こんにちは、さおりと申します。

私は、この子たちのひとり親をしています。

👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子

 

昨夜、娘が大パニックになりました。

 

別に珍しいことではないけれど、とりわけ昨晩は凄かった。
私も両腕が腫れあがるほど噛みつかれたし、そのときの我が家の様子ときたら「私・娘・息子」の3人が「暴れる人、取り押さえる人」となり、ゴチャゴチャしながらみんなで号泣でした。

 

一般の人の怒りや混乱と違って、自閉っ子のパニックは大暴れしながらも「本当はいち早く落ち着きたい、でも落ち着く方法を知らない・コントロール出来ない」という苦しみも兼ねているんですよね。

 

それなのに私ときたら、何年経っても対応方法が「親としても人としても、未熟だな」と思うのです。

 

自閉症児へ寄り添うためには「理解」がとても大切になってくるのですが、その「理解する」と言うことが難しかったりもします。

 

今日は、そうした「障害児・自閉症児・発達障害児の子などにとっての理解」についてい筆を執っていきたいと思います。

 

障がいがある子への理解は、その子の状況によって変化する

 

目の不自由な子には伝える手段として「点字」や移動手段の盲導犬、耳の不自由な子にも伝える手段として「手話」があります。身体に不自由さがあれば移動するための「車椅子」があります。

 

「自閉症の子達には?」五体満足だから、身体障がいの子達と同じように「手段」が不要だと思われがちなんですよね。

 

身体に障害を抱えて生まれてきたお子さんと比較すると、多動な子が多くよく動くし、大声も出せて元気いっぱいに見えます。でも、何も問題を抱えていないように見え支援して貰えないからこそ、困っている部分の根がどんどん深くなってしまうことも多いのが自閉症の子たちです。

 

「点字」「手話」「車椅子」と同等に「理解という理解」が欲しい。なんだか言葉が変だな…。

 

もちろん「自閉症なんです」と伝えれば「そうなの、大変ね」と理解は示してもらえるのですが、その理解が「大変だ」ということしか伝わってなかったり、ときに少しずれていることもあるんですよね。

 

自閉症児への理解とは。

 

では、自閉症児の理解とは一体…。

 

たとえば「障害があるんでしょ、仕方ないね」「障害があるから、参加できないね」という言葉は「配慮・理解」に思われがちですが、実はそれは「排除」です。

 

「障がいがあるから出来ない」のではなく「障がいがあるから、みんなと同じやり方ではできない」または「本人に寄り添った支援があれば一緒に参加できる」のが自閉症の子たち。

 

「障害があるから(出来ないだろうから)やってあげるよ」といった、考えは間違った理解です。

 

そうした理解を示す人たちに悪気はないことは分かっていますし、むしろ気持ちがこっちに向けてくれてることは充分に分っています。

 

じゃあ、本当はどんな理解が欲しかったのかと言えば、定型発達の子と同じスタートラインに立つために「どうやったら一緒に出来るかな」と、一度考えてみて欲しいのですよ。

 

「自分がやるから、しなくていいよ」じゃなくて「一緒にやるにはどうすればいいのかな」と、「自閉症の子の特性を知る」という理解が大切なんじゃないかな。

 

自閉症の特性(娘の場合)

 

ここで少し、娘の特性をもとに自閉症のことをお伝えしたいと思います。

 

例えば、娘は偏食なのですが、味覚からくる好き嫌いをしているわけではありません。「想像の特異性」や「舌の過敏さ」により「食べ物を食べること」「口まで食べ物を運ぶこと」が出来ません。

 

想像の特異性とは「私たち日本人は海外旅行先(特に中央アジア圏などで)虫を食べろと言われても食べれないじゃないですか…」それは想像力によるもので「昆虫は食べるものじゃない」って固定概念があるから口に運ぶのも困難なのですよね。…そういうことです。

舌の過敏さっていうのは…たとえば人によってはセーター切るとチクチクして湿疹が出る人がいるじゃないですか。あれです。それが自閉症の子の舌にも似たような感覚があり、食べ物が痛かったりするんです。

 

過敏さが耳や目、肌にもあり、ちょっとしたことが私達には想像も出来ないほどに不快だし「気持ちをどう対処していいのか分からず」「言葉で伝えることが出来ず」といった気持ちがパニックに繋がってしまいます。

 

学ぶのに時間がかかるのも自閉症の特性

娘も息子も耳が過敏で、幼い子ども大きな泣き声が不快なようで、気持ちを対処できないとパニックになります。

 

パニックにならないように対処方法を教えればいいのにと思うかもしれません。しかし、自閉症の子達は習得に時間がかかる場合が多いですし、習得したとしても場所が変わると応用が効かないことも多いのが特徴。

 

「耳をふさぐ」「自分が場所を変える」といった対処方法を教室や家では出来たとしても、街の中では発揮できない場合も多いです。要は場面が変ると出来なくなってしまうのも障がいの特性によるものです。

 

公共の場でも、教室や家と同じように失敗や経験を繰り返しながら身につけていっているわけですので、なかには「迷惑だなあ」と思う方もいらっしゃるとは思いますが、どうかそうしたことを理解した上で温かい目で見守ってもらいたいなあと思う訳です。

 

「周囲にどうあって欲しいのか」という母の気持ち

 

先日、とあることをTwitterで呟いたら沢山の障がいある子の親の方々に共感いただいたのですよ。

 

そのツイートがこちら。

 

コメントには「理由がありますよ」に傷ついた人が多いことに驚きました。

 

どんなに自閉症児のことを理解して「これは障がいの理由によるものだね」と正当な理由を並べたところで「じゃあ、どうするか」が考えてあげれなければこの発言は「毒」にもなります。

 

自閉症の困り感だけでなく、誰かが困っていれば「辛かったね」「手伝うことある」などという寄り添いが大切だと思うんですよね。

 

特に自閉症の親は、誰かが寄り添ってくれるということが、どんなにありがたいことか。

 

でも、それぞれ忙しいとか自分も傷ついているなどの理由があるのが人生なのですから、せめて公共の場で困っている親子を見かけたら白い目でみたり舌打ちしたりするのだけは辞めて頂きたい。

 

何か理由があるのかなあ…と思い、その時に自分が出来る範囲で思いを馳せてもらえたら「神対応」です。要は、冷たい顔で素通りされるのと、一声かけて貰えるのでは「頑張れるのか」「うつ病になるのか」くらい違うんです。極論でしょうか。

 

長くなりましたが、障がいを抱える子の親がこうした悲しみから解放される方法ってあるんでしょうか。

 

恐らくなくて、子どもの障がいと共に悲しみや大変さと付き合っていくしかない。その為に、我が家だけでなくすべての自閉っ子たちとその家族がもう少し理解されたいなあと思って筆を走らせました。

 

今日は、ここまで~

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