私は、自閉症児2人のひとり親。
娘は、特別支援学校の小学6年生。
息子は、特別支援学級の小学4年生。
息子から娘への、嫌悪感が強まり始めました。娘の度重なるパニックや奇声を不快に感じるようになったことをはじめ、自分の姉の「障害」に対し抵抗感が生まれ始めたたようです。
「なぜ、自分の姉は人と違うの?」と問うようになってきました。ほぼ同時にして「なぜ、自分は○○(放課後デイサービス)へ通っているのか?」「なぜ、自分だけ毎朝の通学に○○さん(支援員の方の名前)が付いてくるのか?」などといった、自分の置かれた環境に対する疑問も口にするようになりました。
解答にとまどいを抱える私は、インターネットで調べたり支援者に相談したりしました。どこでも「障害告知」は大切だとされています。
今回のブログをはじめとして、息子への障害告知について進捗を追い、本ブログ内でシリーズ化していこうと思います。第1回目は「障害告知」について私なりの考えをまとめました。
「僕はなぜ?」が増えた息子
グレーゾーンと呼ばれる息子が、自分の置かれた環境に対して、自分自身へ向けた「なぜ」が増えたのはどうしてでしょうか。
手前みそに聞こえるかもしれませんが、息子の思考力は年齢に見合わず高いと感じています。回答が準備されている学習面ではついていくことが難しいですが、答えのない社会のことについては、大人顔負けに考えることができます。
そんな息子が、一番最初に自分と周囲との違和感を感じ私に伝えてくれたのは、小学4年生にあがった夏休み前。
「4年3組のみんなは、4年生の漢字ドリルをしているのに、僕だけ3年生のドリルなんだよね、なんでだろうね…」「じつは、幼稚園の頃から思ってはいたんだよ、僕だけいつも近くに先生がいるな…とかね」と、話してくれたのがキッカケです。
その後、自分に対する疑問を口にすることが増え続けました。
「なぜ、自分は○○(放課後デイサービス)へ通っているの?」
「朝の投稿するときに、自分だけ○○さん(支援員の方の名前)が付いてくるの?」
など「僕はなぜ…」といった疑問が増え始めました。
きっと、心の中には溜まっていたのでしょう。いいだすことのできない環境を作っていたのではないかと、親としての自分の在り方を振り返るには、あまりにも長い時間です。
姉の障害は、スムーズに受け止めてくれた息子
息子が、自分の置かれた環境に自問自答を繰り返すようになったのと同時期に、自分の姉への自閉傾向の強さにも拒否感を示すようになりました。
娘の障害については、過去に説明してあり受け止めてくれていましたが「障害を受け止めること」と「彼女の行動を許すこと」は別物のようです。
わかります。家のものを壊され続け、楽しい空間も瞬く間にパニックで壊してしまう娘。そうした暮らしを受け止めることが、どれだけ難しいことかは一緒に暮らす私たちにしか分からないことかもしれません。
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親が「障害告知」に悩むわけ
障害者(姉)に抵抗を感じ始めた息子にむけて、自身の障害を伝えていくとは「なんて酷なんだろう」と感じます。
息子への障害告知は、医者か支援者に任せることになるとおもいます。一般的に、その方がスムーズにいくとアドバイスを受けています。
でも、スムーズにいくのかな。答えなき過酷な状況に対し「スムーズ」という言葉に、違和感を覚えます。。
だって、誰にとってスムーズにいくのだろう。親が伝えるよりは「まだマシ」という過去例をデーターとして扱い、それを我が家や他多くの家庭に持ち込んでいるのなら、これもまた違和感。
自身の障害を受け止めるのは、息子自身。きっと、ひとりでは受け止めきれない。一度で受け止めることができたのならば、もしかするとそれは理解できていないのかもしれない。
自分だけでは受け止めることができず、誰も自分のことをわかってれる人がいないと感じるかもしれない。絶望感とか喪失感で押しつぶさるかもしれない。そんな、自分を拒絶するかもしれない。
それをキッカケに、閉ざしたり暴力で表現したりするようになるかもしれない。本人を思った大切なこととして行われた「障害告知」が、過度に本人を傷つけ、それを「乗り越えるべき壁」とされることがある。ツラすぎる現状を、綺麗な話にすり替えられるのは本当に皮肉。
障害告知に限らないけれど、日本の福祉制度は最終的には家族任せを前提として作られていて、ツラいなと思うことがよくある。一心に家族だけで責任を覆うことになるために、心が壊れそうになる。
心は一度壊れると、治らないこともあるのに。それを、美しい言葉にすり替えられるときがある。そんな日本の風習が、私にはよく分からない。
そこまで深く考えてしまう自分を「過保護なのかな?」と思うこともあるけど、きっとちがう。親子といえど、別の人間。心の中まではよく分からない。そんな、我が子の人生を左右であろう「障害告知」という課題が、目の前に立ちふさがっているんですよ。
ツラい。
障害告知という壁に対して「自分の子どもを傷つけてまで、伝える必要があるのか」という「親としての問い」に答えが見つけられなければ、ここを乗り越えるのは過酷過ぎる。この後の暮らしにも、大きく影響を与えそう。
【障害告知について】親の私が考えたこと
息子は、障害告知によって(もしくは自然と)「自分には、簡単に手に入らないものがある」と、理解するでしょう。
ただ、障害告知に限りません。誰しも人生のいずれかのステージで「自分には、手に入らないものがある」と、何かを諦めるときがきます。
「自分には、ここへの進学は無理だ」
「自分には、いくら努力しても1位がとれない」
「自分には、昇進が無理だった」
「あの人と、付き合うことができなかった」
など、どんなに努力して手に入らないものがあると知るときが必ずやってきます。私達は、次々と取捨選択をくりかえし「諦め」を経験していきます。
でも、多くの場合は大人になってから。
息子と同じ小学生の場合、みんな「諦めないこと」の中で生きています。「勉強も遊びも」「友達も家族も」「スポーツもゲームも」と、子どもは全部取りできる中で生きています。多くを「掻き集めて生きるステージ」の中で成長しています。
周囲が、ワクワクを掻き集めながら生きているのを横目に「あなたは特別に、諦めることが多くなる人生」と告げなければならないのが、障害告知。それを思うと、簡単に「誰もが通る道」と、私はいえない。
「支援があれば、諦める必要はないんだよ」と、思うかもしれません。現在の日本で障害児育児をする中で、福祉が潤っていると感じることができないケースも何度も体験してきました。
考えた結果「障害告知はやっぱ必要だな」と思った…できれば、プロセスとして
いろいろ考えたけど、障害を持って生まれたからにはいつか告知が必要。簡単なことじゃないけれどね…。
「障害告知」を、言葉で伝えて終えるのではなく、伝えることで本人が「自分で自分を生きやすくするための工夫」が出来るといいなと思う。
「障害告知」は、その子が自分自身の特性を受け入れるまでのプロセスなんだよね。そのためには、親も我が子のありのままを受け入れていなければ、我が子が受けた衝撃で共倒れになってしまう。それだけは、避けたいよねと私は考えます。
「障害告知」って、ズンとした重いものに感じる。でも、その子にとって「何ができて、何ができないのか」「だからどう生きていくのか」と、自立していく中で社会に溺れてしまうことのないようにしてあげることが大切。障害告知が、そのためのパスポートのようなもとして捉えたいと思う。
障害告知を1度しかない盛大なものに捉えるのではなく、繰り返し丁寧に伝えてあげることが大切かなと考えました。できれば、私が元気で気丈で、何があっても受け止めてあげられるほどの強さがある間に。
まとめ:【障害告知】「僕はなぜ?」が増えた息子への、私なりの対応について
ツラツラと書きすぎたけど、障害告知は「本人の特性」「家族や支援者・医療との関係」などによって、やり方もタイミングもさまざま。その見極めってとても難しくて、親が一人で抱えるものではないよね。
障害告知によって、本人が障害を受け入れていくプロセスのスタートとなり、それと同時に周囲も新たな支援に向けての均衡点を探るキッカケになるといいな。
今日は、ここまで!