障害者の親だからという理由で、宗教に誘われやすいんです

こんにちは、さおりと申します。

私は、この子たちのひとり親をしています。

👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子

勧誘の仕方は色々なんですが…子どもの障がいを理由に宗教の勧誘を受けた事が3回もあります。誘い方は様々なんですが、直近で覚えているものをいえば「あなたたち家族を助けたい」「お子さんを治したい」でした。

 

宗教の勧誘に猛烈に反発しているとかではないのだけれど、障がいを理由に宗教に勧誘される事になんだか違和感を感じずにはいられないんですよね。「宗教と障がいや病気」については前から筆を執りたかったテーマでもあります。

 

今日は障がいと宗教をテーマに、私の考えを述べていきたいと思います。

障害者の親だからという理由で、宗教に誘われやすいんです

 

突然ですが、我が家に向けて「あなたたち家族を助けたい」「お子さんを治したい」って、かなり失礼な言葉だと思うんです。

 

もちろん私は、ひとり親で子供たちは2人とも自閉症で、「大変だ」「忙しい」「限界だ」と愚痴を吐く事もあります。でもその愚痴は「不便だ」「今の社会では生き辛い」ということに対してで…私たちは自分達が不幸な存在だなんて思った事ないんです。

 

それなの「お子さんを治したい」「神様のちからに救われて下さい」なんて言われると…「え?この子の生き方は治さなければいけないの???」「私たちって可愛そうなの?」って、思ってしまう訳ですよ。

 

ひとり親も自閉症も、不幸ではなく「今の時代の環境では生き辛い」生き方なんですよ。

 

障害は不便、でも不幸ではない

「障害は不便です。でも、不幸ではありません」

乙武洋匡

これは、乙武洋匡さんの名言です。乙武さんがこうした言葉を、自ら公に発表されたのには理由があるはずです。

 

自分は不幸だとは思っていないのに「なんて不幸なの」という目線や言葉をたくさん浴びせられてきたからではないでしょうか。もちろん乙武さんがひとりで出来る事は、一般の人がひとりで出来る事に比べると格段に少ない。

 

でも、乙武さんはサポートがあれば「みんなと同じ様に出来る事が沢山ある人」なんですよね。だから「不幸ではありません」という言葉にハッとさせられた人も多いと思います。

 

私は子供達をどう思っているのか??

私自身も改めて「私は子供たちの障がいの事をどんなふうに思っているんだ?」って、考え直してみたんです。でも何度考え直しても、子ども達が自閉症であることを惨めとか不幸とか思っていないんですよね。

 

じゃあ、良いこととか普通って思てってるのと言われればそうでもなくて…。だって子供達…特にパニックになりがちな娘をみると、本当に苦しそう、そして毎日大変そう。来る日も来る日も大変そう…。

 

でも、それはやっぱり彼女が不幸に生まれてきたからではなくて、彼女の抱えている障がいでは今の世の中を生きていくのが不便だからなんですよね。

 

さっきから、不便不便って一体どういうことなんだと思われるかもしれませんが、不便とは便利でない状態…

 

だから、便利に生きれるようにしてあげればいいんですよ。洗濯板から洗濯機に発展したように、手書きからパソコン入力となったように…障がいに対して、生き方が便利になる配慮や支援は欲しい。本人の問題ではなくて環境側の問題ですよね。

 

私も神様の存在は信じています。でも、神様に祈りを捧げて「この子を障がいではない状態にしてください」とは思っていないんですよね。「この子を生きやすくしてやってください」とは思っていますが。ややこしいかなあ。

宗教とは何ぞや??

 

さっきも言いましたが、私は宗教を反対しているわけではなくてどちらかと言うと神様を信じている側です。困った事があると直ぐに神頼みしてしまうような、いわば調子や都合ののいい人間です。

 

じゃあ、なんで宗教の勧誘に不快感を覚えるのかを考えてみました。

宗教を勧誘する人たちの思考

宗教に人を勧誘する人って、本当は優しさとか親切心から「困っている人を救ってあげたい」と思っているんですよね。医療や科学、お金の力ではどうにもならない事を、信仰心さえあれば神が救うと断言しています。

 

それに宗教の勧誘する人たちっていうのは、自分自身が生きるのにかなりの苦労を感じていて、宗教によって救われたはず。医療や科学、お金の力では解決しなかったことを、信仰によって神に救ってもらったと信じている人たち。

 

そうした経験により「自分を救ってくれた神様の存在を、より多くの人に広めたい、ひとりでも多くの人を不幸から救ってあげたい」と思っている、普通に優しい人なんだと思います。

 

何も悪くない。

そもそも、勧誘を受けた人は救って欲しいのか?

「宗教に勧誘する人の思考は、悪くない」でも…ここでひとつ、問題が出てきます。

 

宗教を勧誘する側の人は「この人たちは、不幸なのだ」と、好き勝手に環境要因から判断しています。じゃあ勧誘される側は、医療や科学やお金で助からなかった現状を、神の力によって変えていきたいと思っているのか???って話なんですよ。

 

ちなみに私は、障がいがある子どもをひとり親で育てていくのはとても苦労が多いですし、心身共に疲弊しています。子ども達も障がいにより不便なことが多そうで、何とかしてあげたいなあとは思います。

 

でも、それは宗教によって我が子を定型発達にしたいのではなく、うちの子たちに障がいがあるのは仕方のないことなのだから周囲が理解して歩み寄ってくれよ~って気持ちです。

 

だから宗教の方々に、好き勝手に我が家のことを不幸だと判断された事に怒りさえ覚えてしまう訳ですよ💦

 

我が家にとっての神様

障がい児の子育ては、正直な所大変です。だから、神社とかにいけば私も神様にお願いすることはありますよ。

 

でも、それは「この子達の人生が楽しいものであります様に」とか「健康で過ごせます様に」とか。定型発達児のお母さん達と願いは変わりません。だから、神様に「自閉症を治してください」とお願いした事は一度もありません。

 

仮に、私たちが今より福祉や医療の体制が整っていない100年前の日本に暮らしていれば、私も神の力で救われようと思ったのかもしれません。

 

でも、今は令和です。2020年です。

 

大変な毎日ではありますが「私たちはなんでこんなに不幸なんだ~」と思いながら生きているわけではありません。「不幸じゃないけど、困っている私たちに」神様にも地域の方々にも少し支援の手を差し出してもらい、温かく見守って貰えたら幸せです。

まとめ

 

宗教が、弱者に手を差し伸べて多くの人を苦しみから救ってきたのは知っています。苦しい人たちが神様を信じる事で「生きる糧」となり「命」を守ってきたのも知っています。宗教を強く信仰される方々がそこに至るまでに、多くの苦労を抱えて悩み考えてそこに到達されたという事も理解しています。

 

本当、長い歴史をみても宗教とは凄いことですよ。

 

だから、障がい者を迷惑扱いしたり、ネットでの障がい者の批判を書き込む人たちに比べれば「障がい者を救いたい」と思う、その気持ちはありがたいこと。

 

でもね、最後にもう乙武さんの言葉を借りて言いたい。障がい者は不便ですが、不幸ではありません。

 

今日は、ここまで~ 

 

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