【自閉症の特徴について】こだわりよりもっと怖いものがあります!

「自閉症の子はこだわりが強い」と言われています。

 

自閉症の子ども達は特定のものごとやルールに強いこだわりを示す子が多いために、まるで「こだわり」が悪いもののよう言われていますが、私はそうとも思えません。だって「こだわり」自体は誰にでもあるものだから。

 

ときに、こだわりをもった大人は色濃い個性があるとみなされ、オシャレ認定される場合も多いもの。趣味にこだわりを持つ大人もいますし、メーカーにこだわる人、健康のために食事にこだわる人も増えています。

 

今回は、自閉症児2人を育てながら、親視点で感じる自閉症児のこだわりについて書き綴ります。さらに「こだわりよりもっと怖い」と私が思っているものもお伝えしたいと思います。

自閉症児、定型発達者、それぞれの「こだわり」

こだわりは誰にでもあります。私のこだわりは生き方。時間を大切に生きたいと思う「こだわり」が人一倍強い強く、無駄な時間や自分の人生の時間を安く見積もることに、ときに苛立ちを感じることもあります。

 

大切にしたい思いが強いが故に強情になってしまい、自分でも「大人げないな」と思うときがありますが、それが私の時間へ対するこだわりです。

 

我が子たちにも、こだわりがあります。小さい頃には、私には到底理解できない「服」や「行動」「独自のルール」といったこだわりがありました。自閉症の子ども達のこだわりは、周囲を疲弊させることが多いために「こだわり」を悪いもののように扱われます。しかし逆を言えば、そこまでしてこだわらなければならない理由が彼らにはあります。

 

例えば幼い頃の娘は、同じ道を通ることへのこだわりが強く、いつものコースを外れるとパニックになっていました。その、パニックが長いんですよね。息子も同じように、持ち物や服へのこだわりがありました。

 

真冬でも半袖にこだわる子、持ち物や並べ方にこだわる子と、さまざまなこだわりを持つ子がいます。こだわることで不安を回避し、安心をこだわりの中に求める。その不安感を「障害からくる仕方のないこと」と尊重してあげたいと思ってはいますが、母親として家庭も回さなければならないので、四六時中付き合うことが出来ないのが家族としての課題です。

自閉症児の「こだわり」はわがままじゃない

自閉症の「こだわり」はわがままじゃない。
定型発達の人たちがもつ「こだわり」ともまた違う。
自閉症の人達の、根底に抱える問題が表面化したもののひとつが「こだわり」。

 

他にも、障害からくる根本的な問題が表面化したもの多々あって、偏食だって好き嫌いをしているわけではないし、うろつきや奇声だって親の躾(しつけ)がなってないからじゃない。本人の努力や親の躾でどうにかなる問題じゃない。

 

多くの問題には理由があるし、無理やり制御しようとすることで二次障害だって起きてしまう。ほんの一例ですが、分かりやすいように図表にしてみました。

自閉症特有の行動 行動の原因 理解不足からくる支援や躾 二次障害
こだわり 不安回避 わがまま 更なる不安による、より強い症状
偏食 過敏性
想像の特異性 
好き嫌いだと思い無理矢理食べさせる 嘔吐
食欲不振
うろつきや奇声 注意性の問題
不安回避
親の躾の問題・我慢不足だと思い無理やり制御する 自信喪失

 

特に注目してもらいたいのが「二次障害」の部分です。これは、周囲の理解によって防ぐことが出来るもの。反対を言えば、理解が無ければ根の深い悩みになってしまうということ。

 

二次障害防ぐためには、以下のような理解が大切。

自閉症特有の行動 行動の原因 二次障害の防ぎ方
こだわり 不安の回避 不安になる要素を取り除いてあげる
見通しを立てる
逃げ場を作る
常識を見直す
偏食 感覚過敏
想像の特異性
苦手な感覚を避けた食材・調理法
想像の特異性を減らすために一緒に料理したり栽培したりする
うろつきや奇声 注意性の問題
不安回避
不安になる要素を取り除いてあげる
刺激調整

これくらいなら、プロじゃなくてもサポートすることが出来ますよね。

 

自閉症の子達の中でも特に普通に会話が出来てしまうような子ほど、普通に見えてしまうが故に「わがまま」と受け止められることもありますが、実際のところ「社会に理解されない」「身近な人にも理解して貰えない」ってとても苦しいはず。

 

こうしたところが、まず多くの人に広まって欲しいと私は考えます。

 

こだわったところで周りに被害がないようなことや、支援する側に余裕があるなら付き合ってあげてもいいんじゃないかなっていつも思ってる。こだわりの根本的な原因は障害ではなく、不安なのだから。

 

誰しも不安があると、自分の中にあるなにかを表面化させます。貧乏ゆすりが増えたり、黙り込んだり、イライラしたり…。不安が「鬱」にまで発展しないように自分で対処を始めます。誰かに話したり相談したり、スポーツしたり、趣味に打ち込んだり何かで回避しようとします。

 

海外の子ども達は赤ちゃんの頃から一人で寝る習慣があり、夜の暗闇が怖い子どもたちのセキュリティ(お守り代わり)としてテディベアが渡されます(古いのかな)。「このクマが要るから安心して寝れる」「クマがいないと不安で寝れない」っていうのも、不安回避行動のひとつですよね。

 

誰しも、生きる中で不安を抑える何かを求める。

 

自閉症児は一般的な人よりも不安が人一倍多く「こだわり」で一生懸命に対処しているだけ。それなら、こだわりを取り上げるよりは、不安を取り除く方が先決ですよね。徐々に信頼関係が出来たら「そのこだわりじゃなくて、こんなものもあるよ」って提案してあげて、自閉っ子の世界を広げてあげたらどうかな

 

障害って「頑張れば克服できる」っていう部分と、「どう頑張っても克服」っていう部分がある。そのことを理解しようともせず、誰だって努力して克服したり我慢して生きているんだって歩み寄る気持ちを持たないのは人としてどうかな…。

 

こだわっていいことって、この世にいっぱいあるんですよ…障害があったとしても無かったとしても。

「こだわり」より、とある「依存」の方が怖い

前置きがメチャクチャ長かったですが、今日はここからが本題でして…

 

こだわりよりもっと怖いのが「依存」です。

 

とはいえ、教育で言われるようなネット依存やスマホ依存ではありません。批判を受けそうですが、私はネットもスマホもずっと見ていることを「依存」とは全く思えません。

 

ネットやスマホは、勉強も出来るし、ニュースも見れるし、音楽も聴ける、情報収集も出来るし、映画だって見れる。仕事だってできるし、ゲームを通じてコミュニケーションも取れるし、コロナ禍で誰とも話せず悶々とする中でzoom飲み会だって出来る。

 

一方通行の情報をテレビを通してダラダラと見続け、考える力を失う大人より、ネットやスマホを何時間も見てる子ども達や若者の方が成長してるはず。それに、ひとり親のしがない私に自力で稼ぐ力をつけ育ててくれたのは、学校や大企業ではなくパソコンとスマホだと考えています。だから、これからを生きるデジタルネイティブ世代の我が子達が羨ましくて仕方ない

 

私が考える、もっとも怖い依存は「人への依存」。自分では何も決めることが出来ない他人への過剰な依存や、褒めて貰えないと頑張れない他人への評価依存。我が子がいないと、自分の意味が見出せない子どもへの依存。

 

人への依存はとても怖いなと思う…
私は育児中ずっと「我が子への依存」と「愛情」の区別を意識してきました。それなのに完全に、そして自然に「子ども依存」に至っていたのだなと今になって知りました。

 

娘が入院して、母子分離の提案をされて猛烈な自分の子どもへの依存心に気付いた。
大きくなった自閉症のこの子と一緒にいるのも苦しい時間が多いのに、離れたくない」と、完全な自分のエゴに…。

 

誰かに愛して貰えなければ不安な人、誰かに近くにいて貰わなければ不安な人、誰かに認めてもらわなければ自分の存在意義も見出せないようになってしまう「他者依存」は、目に見てわからないから「こだわり」なんかより、ずっと怖い。さらに「愛情」と勘違いされがちで、誰も注意してくれないからじわりじわりと自分を覆いつくします。

 

人間は、誰かに評価されなくても生きている意味があるもの。

 

無理に頑張らなくても、全ての人には生きているだけで価値があります。でも、個人としては生きている意味を、自分自身で探し求めないと、不安を抱えてしまう。その不安を取り払うのは生きがいや趣味といった、本当に自分がやりたいことで補いたい。そして、本当にやりたいことを見つけることが途轍もなく難しく、見つけることが出来ないまま生涯を終える人もいる。

 

本当にやりたいことで、自分の生きる意味を見つけるって本当に大切なこと。他人に依存しないためにも、苦しいこだわりを捨てるためにも。

 

今日はここまで。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
>