自閉症児育児をしながら思う「心のバリアフリー」

先日の、私のツイートです。

 

 

 

皆さんは、このツイートにどのような気持ちで「♡」をつけてくださったのでしょうか。

 

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娘は「自閉症だから、家のものを壊す」のではありません。

 

娘には「何か困っていること」あり障害によって引き起こされる、その苦しみが一般の人以上。それを発信する術も持っていないから、結果としてモノを壊すに至ったんだよね。

 

これを支援の場で話すと「お母さん大変ですね」「娘さん、何かに困っているんですね」とは声がけして貰えるのだけれど、結果として助けてくれる制度っていうのはどこにもない。

 

家庭でおきたその問題を「その家族が見るのは当然のもの」とされていているような、何年も変わらないその社会制度に、何だか胸が痛むんだよね。「障害のある子を抱えた親だから、仕方ないでしょ」といわれているようで。

 

支援する側も社会側も「家の中で起きていることは自分たちには関係のないこと/あとで報告をきいて対策を練るべきこと」として考えている人も未だ多いのだと思う。けして、悪気があるとかじゃなくて、それが当然とされている社会だから。

 

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障害のある子は、その特性によって「他の人と同じ支援や環境では、みんなと同じスタートラインに立てない」ということが理解されていない。そして「その家族もまた同様」ということも、理解されていない。理解されていたとしても、だれも手助けできないし、どうにもできないんだよね。制度がないから。

 

 

でも、当事者からしてみると、家族だけの環境(家庭の中で起こる問題)こそ、手を差し伸べて欲しい。でも、届いて来ないんだよね。人(支援者)が悪いんじゃなくて、制度(仕組み)がないから。

 

兎にも角にも、制度が足りない。

 

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私のツイートをみて、悪気はないのだけれど…心のどこかで、「この家族、可哀想」と思ってしまう部分があるのなら考えてみて欲しい。「可哀想な家族/可哀想な子」として捉えるのではなく、「○○があれば、可哀想でなくなる家族/子」という視点について。その「○○」は何かって…。

 

そこから基づいて逆算して考えれば、支援とか制度とか「社会に必要なもの」が、大きく変わってくるんじゃないかなって思う。

 

特に、障害者当事者になるとか障害者の家族になるって、誰にでも起こりうることで別に特別なことじゃない。

 

私たち家族は、選ばれし強き人じゃないし、私たちだから乗り越えられる壁とかの綺麗ごとじゃない。本当は「支援がなくてもみんなと同じスタートラインに立ちたかった」普通の人なんだよ。

 

誰しも、いつ自分が支えて貰う側に立つか分からないから、自分が支える側に立てるなら少しだけ考えてみて欲しい。困っている人が声をあげているのは何故か。愚痴を吐いているのは何故か。

 

日本では「良薬は口に苦し」って言葉があって、ツラいことには意味があるって捉え方が未だに残っています。でも、楽しいことに意味があるほうがいいじゃん、そっちの意識も持って生きていこうよ。

 

障害は本人やその家族だけで乗り越えるようなものではないはず。「みんなで」乗り越えるべき社会課題として受け止める。それが、なによりのバリアフリーなんじゃないかな。

 

今日は、ここまで。

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