【自閉症児の親が考察】友達は必要?|それくらい自分で決めようよ

「自閉症でお友達と関わることが少ない」
「友達って必要なのかな」

と、訊かれたことが何度かあります。

 

その質問に、私は答えることが出来ませんでした。
悩んで言葉が出なかったわけではありません。

 

私は「自分にとって必要な人(友達)は、自分で決める」ことが大切だと信じているからです。

 

今回は、自閉症児の親として(…というよりは、1人の女性として)、「友達」について私の考えていることをお伝えしたいと思います。

「友達は必要ですか?」の、その答え

みなさんは友達が必要ですか?

 

私は必要です。ただ、誰彼構わず必要なわけではありません。

 

40年以上生きる中で、縁が切れずにいる友達は無理なく付き合える人たちばかりです。正確には、友達のために無理をした日もあるけれど、私の緊急事態の無理も受け入れてくれた「おたがいさま」を許し合った仲です。その経緯を踏まえた上で、無理しない関係を重ねれる人達。

 

これから新しく出会う人も、きっとまた同じようなことを繰り返せる限られた人達と長く付き合っていくことになるのでしょう。

 

障害により人一倍敏感な我が子達も、「無理のない、おたがいさま」を知って欲しいと考えています。そんな友達のいる人生は、なんとも幸せだから。

 

私は「噂や口コミで人を判断しないように」固く心に決めています。

 

これから関わる人が悪い噂しか聞かないような人でも、自分で話してみて、自分との会話の波長やフィーリング、やり取りを通して感じたことしか信じないようにしています。一方で、物凄い偉大な人物と囁かれ一目置かれる人だとしても同じです。これから、長くその人と付き合う可能性があるのなら尚更、自分の感覚を信じます。そして、その人のことをゆっくりと知りたい。

 

時間や会話を共有して見て初めて「噂が本当だったのか」または「盛られた話だったのか」が分かる気がります。だから、私は自分の感覚を大切にしています。

 

それは反対側の視点から考えると、私と面識を持たない周囲の人たちに「勝手な私像」を作り上げられたくない気持ちもあるからです。

 

人を好きになったり、嫌いになったりといった距離感の取り方は、周囲の意見や世論で決めるのではなく、自分の感覚で選ばないといけない大切なことだと、私は考えます。

 

だから、障害を抱える子にとって友達とかかわりが必要かどうかは、その子が決めるべきこと。その子が自分の意志や意見を伝える術をもたないのならば、「この子はどんなふうに考えているのだろう」「この子はどうしたいのだろう」と、その子の気持ちを大切にする大人でありたいと思います。

イメージで判断される不快感

かつては私も、見た目や噂でイメージを判断され、嫌な思いをしたこともあります。

 

現在は加齢により、表情も少し優くなりましたが、生まれつき目元も眉毛もハッキリした強気な見た目。性格はといえば、周囲に流されてみることができず「お断り」も得意だったために、必要以上に空気感を読めないと思われたり、知人に言わせれば威圧感のある人間だったようです。

 

第一印象において、「癒し系」などと言われたことが無い人生をここまで送ってきました。

 

社会人になりたての頃に「癒し系」という言葉が流行りだし、職場でも年功序列真っ盛りのおじさん達が可愛がるのは「癒す女性達」。真面目しか取り柄の無い私ですが、癒し系になれない若かりし私は、そんな組織が嫌いでした。

 

せめて「話してみたらめちゃくちゃ癒し系だった」というタイプだったらいいのですが、癒せる話し方でもなく、めちゃくちゃ理論派で、問われれば誰とでもディスカッション出来てしまうような思考タイプだったのも時代にそぐわなかったのかもしれません。

 

これが、イメージや噂というものです。

 

とはいえ、まだ社会人になりたての、企業や組織に戸惑いを感じる20代前半の女の子だった私。見た目通りの強気さもなければ、組織という新しい世界に戸惑いを感じていました。ただ、意志は強かった。社会の役に立ちたいという思いもその頃から強く、なるべく人は傷つけたくないという思いも幼いころから持ち続けています。

 

しかし、「私社会の役に立ちたいです!」「誰も傷つけたくありません!」なんて、唐突に発言する場も無いのが普通でした。インターネットどころかSNSも一部のオタクと言われるような人しか(私です)、していないような時代でしたから。

 

一度根付いたイメージは厄介」ということを、若い頃から存分に知ることとなりました。

 

そんな中で私のことを「この人はいい人だよ」「イメージのような人ではない」と、かばってくれる人もいました。ありがたいことです。新社会人で不安を多く抱える私を支える糧となる人達でした。イメージや噂で私を判断せずに近づいてきてくれた人には、今でもとても感謝しています。

 

しかし、年齢とともに経験を重ねた私には、もっと感謝したい人たちがいると気が付きました。それは、私があきらかに「悪い行い」「大人とは思えない態度」だったときにも、それでも「大丈夫だよ」と、私の全てをひっくるめて守ろうとしてくれる人たちです。私は、そのような人たちに救われてここまで生きてきた気がしています。

 

私もまた同じく、ダメなところもひっくるめて守りたい人たちを大切にしながら生きたいと考えるようになりました。誰かの噂に振り回されないで私のことを信じて味方でいてくれる人たちを、生涯大切に思いたいというのが私のモットーです。

まずは、自分が魅力的であること

生涯大切に思いたい人に出会ったり、生涯大切に思ってくれる人に巡り合うには、どうすればいいでしょうか。それにはまず、自分が誰かにとって魅力的であることだと、私は考えます。

 

近年「人脈作り」「横のつながり」「フォロワ―数」を意識する人が年々増えていると感じます。

 

「あの人と仕事をしたことがある」「あの人と繋がりがある」と、誰かの人気度や誰かの権威性を借りて、自分の権威とすり替えたように話す人もいます。しかし、私は「○○さんを知っている」という自己紹介を、とても懐疑的に感じます。

 

障害支援の世界でも似たような事例として、「入所関係者と繋がっておけば、障害ある我が子が成人したときに優先的に入所させてもらえる」耳にすることがあります。本当でしょうか…本当なのかもしれません。

 

しかし、コネのような繋がりで入所できたところで、親身になって「この子の困っていることは何か」「何をサポートすればいいのか」と気にかけてくれる人が現れるとは思えません。入所は出来たけど、当事者の困り感を気にかけてくれる人気持ちに寄り添ってくれる人が居なければ、障害者にとっていい結果に繋がったとは言えないのではないでしょうか。

 

SNSが主流となり「人脈作り」「横のつながり」「フォロワ―数」を意識する社会になってから、10年以上経ちました。10年以上もの間、その言葉を真に受けて「すごい人と繋がっている状態」になろうとする人の多さに驚きます。自分が誰かと何となく繋がっていることよりも、自分が魅力的な人として多くの人にに知られていることの方が、よほど大切なことなのに。

 

努力して時間を割き人脈を作り続けることよりも、「頑張っています」と胸を張って言える自分魅力を感じて集まってくれる人が多いことの方が、未来が明るい気がしませんか。

 

友達は、無理して作るものではありません。今現在に繋がりたくもない人と、将来のために繋がっておくための努力も将来、役に立つとも思えません。繋がりは、自分が求める人に「魅力的だな」と思って貰えることが大切です。

 

結論:友達は必要かどうか…それは、親ではなく本人が決めることだと、私は考えます。

 

今日はここまで。

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