私は、この子たちのひとり親をしています。
👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子
すこし前の話。
いつものように娘を放課後デイサービスに迎えに行くと支援者の方から、本日の報告を受けました。

よくある、娘がパニックになった報告なのだけれど…悶々としたんですよ。

自閉症児の親として胸に刺さった一言でした。
自閉症児の親としてひとこと言わせていただきたい。
自閉症児ののパニックに対して「泣くことで、自分を優位な立場にすることを教え込まないでほしい」ということ。
詳しく解説していきます。
自閉症児は、一度覚えたことへの修正が大変

自閉症児というのは、一度覚えたことへの修正がききにくいんですよね。
集団生活の中で起きるパニックなので、一人ずつの細やかな対応が難しいのは理解しています。
ですが「泣けばどうにかして貰える」という経験だけは積んで欲しくない、そんな親としての気持ちがあるんですよ。
「泣くことで、自分を優位な立場にする」って、障がいがあっても無くても良くないことだし、そんな経験を積み上げて大人になっても得することってなにもないと思うんです。
そしてもう一つ重要なことは「自閉症の場合は修正がききにくい」ということ。
「本当におやつでパニックを終息させたの?」と、悲しくなってしまった私は、状況をいち早く教えて欲しかった。でも、その場はお迎え時間で人がザワザワと行き来していたので、一旦気持ちを持ち帰りました。
とはいえ、モンスターペアレントにはなりたくない

みなさんが、私の立場ならどうしますか。
いろんな対応が、あるとおもうんですが大きく分けて3つの対応方法があると思うんですよね。
- 預かってもらってるわけだから、事業所のことは事業所に任せる形で気持ちを飲み込む
- 支援事業所なのにそんな対応ありえないと、どうどうと異議申し立てする
- 全支援事業所、学校、家庭の足並みを揃えるために、支援者全員で考える
私は③に持っていきたい派なんですよ。でも、一番大変なのが③なんです。
全部の事業所で足並みを揃えるなんて、とても大変なことですし、私と1か所の事業所間で起こった考えの違いを「トラブル」として全体に公表しなければならない。
私だって、日頃お世話になっている訳ですし、トラブルにはしたくないんです。でも、全体に話せばそれなりに大きな話題となる。いづれにしても問題を解決しようと思えば、したくない会話をしなきゃいけないんですよね。
親の気持ちを理解してほしいけれど、モンスターにはなりたくない。こんな考え、八方美人と言われればそれまでだと思います。
支援に対する歪(ひずみ)を埋める

時間を置いて、支援事業所の代表の方に電話をしました。
「本人のパニック中の要求に対しておやつをあげているのか?」を確認したところ、日常的に行っているということだったため、私の気持ちを伝えました。
「泣くことで、自分を優位な立場にする」って、障がいがあっても無くても良くないことだし、そんな経験を積み上げて大人になっても得することってなにもないと思うんですよ。
だから、違う方法でパニックを沈めて欲しい。
それと同時にいくつかの提案をしました。
- 私は家庭での娘のことしか知らず、集団のなかでの娘を知らない。だから事業所としての主張も知りたい。
- 既にそちらの事業所では「パニック=おやつを貰える」ことを覚えているため、修正が難しいのかもしれない。出来れば他所の事業所のやり方も聞きながら対応できないかと思っていること。
- 同じことを繰り返さないためには、全事業所で今回のことを議題にして今後の話のすり合わせをしたいこと。
返ってきた返答は「お母さん、熱心ですね」でした。
正直な所「同じくらい、熱心になって」と思ったし…無気力になりかけましたが、気を取り直しました。
自閉症児を2人も育てていて、今まで合計で100人以上の支援者と関わって貰ってきた毎日って、こうした無気力の連続。だから、ここで凹たれちゃダメな事くらい分かってる。娘の将来のために「凹たれないぞ」と。
自閉症のパニックには原因がある

自閉症のお母さんなら、耳にタコができるほど聞いているかもしれないですが「自閉症のパニックには原因があるんです」と…。
- 少し先の行動に不安がある
- 予想外のことが起こった
- 言葉(気持ち・意志)が通じてない
- 要求が通らない
- 自分の過敏な部分に対し、深いな刺激がある(声・音・眩しさなど) など
しかし「パニックには原因がある」と言われても、大人ひとりでパニックへの対応がどれだけ大変なことか…。そんななか、原因を突き詰めることがどれだけ難しいことか…。正直パニックの対応だけで、大人もパニックですよ。
支援者も親も「チーム」で考えたい

先日こんなツイートをしました。
ハヤシライス作る度に、娘がパニックで鍋ごとクローゼットに投げたことを思い出す。でも、その事実よりそんな悔しい気持ちを支援者に話した時の「必ず理由がありますよ」って諭された悲しさの方が強い記憶となってしまって、悩み事を話さなくなったんだよな。
— sally (@triodiary) November 15, 2020
日曜夜、全国の自閉症ママ元気ですか。
私は支援に詳しい自閉症関係者ではなく「ただの母親」なんですよ。たまたま自閉症の子の母親になった。そんな未熟ものですが、やっぱり思うことはいろいろある訳です。
子どもの困り感に対して「自閉症のパニックには理由があります」という正しさだけを、支援者としての答えにしてほしくない。
だから「どうするのか」で、考えたいんですよ。子育てや支援って見放そうと思えば見放せるだろうし、熱心に支援しようと思えばキリがありません。
そこは、やっぱり「人VS人」なのだから。
自閉っ子のパニックや親の深い悲しみに「回答の提示」だけで終わってしまうのではなく「寄り添ったうえで、これからどうするのか」って、支援というなかで生きる人たちにとって大切なことだと思う。
チームになりましょう、チームに…。それは私が常々思っていること。もちろん、支援者は親と同じほどの愛情はある訳ない事くらい分かってる。だって親じゃないのですから。
どうやったらチームになれるのか

すると、じゃあどうすれば「自閉症の子・支援者と親」がチームになれるのかという問題です。一番変わるべき(生きやすくしてあげる)のは子供ですからね。
「支援者の熱量・考え・支援」「親の愛情・支援への協力・育児や生きかた」とかは、ただ大人同士で会議して、話し合ってといったインプットだけじゃダメです。
アウトプットしていかなきゃ子ども自身への支援には、繋がらないと思うんですよね。
もちろんアウトプットする中で、失敗してまた問題となる。そしてまたその問題に対して会議を重ねる…それでいいのかと思われるかもしれませんが、いいんですよ。
大人になるまでに、出せる膿は出し切って成長していきたい…そんな考えじゃダメかな。個人の感情もからむ難しい問題ですね…。
とはいえ、目標を定めて「みんなが一丸となって、そこに向って頑張るのだー!」ってなっちゃうのはよくない。そうなっちゃうと、まるで悪い宗教みたいになっちゃって、個人の暮らしまでに負担がかかるし、みんながどこかで生き辛くなっちゃう気がするんですよね。
そうじゃなくて「それぞれが出来る範囲で、出来ることを交替で受け持っていく」という長期的な考えがキーポイントなのではないかと思うんです。
そうした支援のためには「引継ぎや連絡、申し送り」だって大切になってくる。黙っていたところで、なにも変わらないので「支援」を変えていく為に「親として出来ること」を行動していこうと思います。
個人的にも、このサイトをガラッと変えて困っている人たちの「安らぎの場・提案の場」になればとおもっているのでこうご期待。
今日はここまで~♪