障害者の居場所は増えたけど「本当にそこに居たいの?」

こんにちは、さおりと申します。

私は、自閉症児2人のひとり親をしています。

👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子

放課後デイサービスが全国的に増え、インクルーシブを取り入れた(風の?)幼稚園も増えてきました。そのおかげで、障がいのある子の居場所が増えた。助かっているご両親の方々もたくさんいるはずです。でも助かる場所なのに、なんだか親子そろって社会から疎外感をうけることも多いんですよね。「それはなんでだろう」と考えていたら、自分なりにひとつの答えにありつきました。

今回は、障がいのある子の居場所について書いて行こうと思います。

障害者の居場所は増えたけど…

 

時代を追うごとに、障がいのある子の居場所は増え続けています。居場所が増えて助かってはいますが、親子そろって充実しているかといえば、その逆です。「本当に、こんな暮らしをさせたいんだっけ?」「私はこんな暮らしを求めていたんだっけ?」と思うことも多いものです。

 

我が子の例をあげつつ解説していきたいと思います。

インクルーシブ教育の中でも置き去りに

私の子供たちはインクルーシブ教育を取り入れた幼稚園に通い、加配教員をつけて定型発達の子達と同じクラスに在籍していました。就園したことで、運動会や発表会、夏祭りといった多くのイベントも経験してきました。

 

「自閉っ子あるある」にのっとって、我が家の子どもたちはそうした非日常のイベントは辛くて耐え難いものだったようです。参加できず、パニックが頻発し娘を始め担任や加配教員も困り果てたようです。「今回は(も)参加できません、無理されずに休んでは?」と提案されることも多かった。

 

もちろん、娘のパニックが嫌で悪気があって言われたのではありません。教職員の方からの「無理しないでね」という、私と子どもたちに対する配慮だったと思うんです。でも、私にはインクルーシブの教育を取り入れているのに、定型発達の子と同じ支援方法で参加を断られることに納得がいかない日々でした。我が家だけ参加を断られるということが疎外感や孤独を感じることに繋がっていっていました。だから、とても考えさせられた数年間だった。

 

障がいを理由に「参加できない子」にしていては、インクルーシブや障害者福祉は進まない。だって「そこに居て当たり前の子」「そこに居ることが当たり前の存在」にしてもらうためには、支援が必要。そうした支援をすることがインクルーシブだと思うんです。

 

職員の方々には仕事を増やす形にはなりましたが、私の方から何度もかけ合いました。娘も息子も参加できるように視覚的な支援を増やして欲しいと頼んだり、ビニールテープを床に引いて娘の立ち位置をわかりやすくして欲しいなどと提案もしました。支援方法が分からないなら療育機関と連絡とりますとまで、しゃしゃり出たこともあります。結局、娘も息子も幼稚園の時代の3年間のイベントは、参加出来たり参加できなかったり。

 

なんで、そんなにも行動したのか。もちろん我が子達もみんなと一緒に参加させたい思いもありましたが、障がい者への理解が浸透して欲しい思いもあったんですよね。子ども時代に娘への配慮や支援を見て育った子達は、そうした共存意識をもったまま大人になっていくはずだと思うんです。

それにやっぱり、障がい児の居場所はあるけれど「ただ在籍して終わり」とはなって欲しくない。居場所があるだけではなく充実感が伴ってなければ意味がないんですよ。

障害者は選択肢が狭い

 

幼稚園のインクルーシブ化や、放課後デイなども含め支援児童の居場所は広まりを見せています。支援の場がとても少なかった10年前と比べると、今はとてもありがたい。ありがたいですし、増えるのはいいんですが、障がいある子の過ごし方や場所の選択肢はもっと豊富であってほしいんですよ。支援児が行ける場所というのは増えていたとしても限定的。できれば、場所をふやすのではなく支援者に増えて欲しい。支援者がいてくれれば、行ける場所の選択肢が増えるって素敵じゃないかなあと思うんです。

 

定型発達者として生きていると気が付きにくいのですが、障がいがないということは何についても選択肢が非常に多い。「何を食べようかな」「こんなことを勉強したいな」「こんな仕事をしたいな」「あの子と遊びたいな」とかね。

 

大人であるということも子どもであるということに比べて選択肢が多いです。コンビニで好きなモノを買って食べるとか、休日に映画をみるとか、旅行に行くとか…だいたいのことは自分に決定権がある。子どもの場合は最終決定者が大人であることも多い。欲しいものもお願いしないと手に入らないしね。なんでこんなにも子どもは不自由なのかといえば、稼いでいないからというのもあるのだけれど、不自由である代わりに愛されているんですよね。

 

それと同じように、障がいを抱えている人も不自由で不便である代わりに、支援の手が必要だと思うんですよね。そういうの、これからの日本にとっても大切なこと。定型発達者が、やりたいことや過ごしたい人を選ぶのと同じように、障がいのある人にも選択肢が増えたらいいなあっておもうんです。

障がい者の居場所は増えたけど「あなたは、本当にそこに居たいの?」

Group of Children Playing Kites Outdoors

最後にもう一度考えてみましょう。ひと昔前から比べると、障がいのある人の居場所は増えた。障がいを抱えた人の過ごせる場所が、あるかないかと聞かれたらあります。でもね、それが本当にその子達が居たい場所で、その親たちが安心して信頼して預けれる場所なのかな。障がい者就労においても就労率は上がっているけれど、本当にそんな仕事がしたかったのと思えてなりません。

 

生き辛さを抱えているのに、楽しみを選ぶことさえ限定的。そうした気持ちを発信することのできない不自由さを思うと胸が痛くなる。そんなの、障がいのある子の親として、黙って見過ごすわけにはいかないんですよね。

 

支援施設の空きを探しまわり、希望とは程遠くても家からどんなに離れていても「空いているから」という理由で入所をすすめられることが疑問として定義される日が早くやってきてほしいな。

 

今日はここまで!

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