障害ある子の授業「特別支援で学んで欲しい」大切なこと

こんにちは、さおりと申します。

私は、この子たちのひとり親をしています。

👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子

 

大人になっても、知らない事っていっぱいありますよね。反対に、知っておきたかったこともいっぱいありますよね。

 

職業の種類とか、世界のお金の動き、失恋した時の気持ちや、税制の本当の事…書き上げるとキリがありませんが、自閉症の親になるかもしれない事も学んでおきたかったです。

 

そうした事も照らし合わせて、今日は特別支援学級に通う息子の「授業」について思う事が多々あるので言語化していきたいと思います。

 

教育は大事だけれど「多額の税金を投与した結果がこれなの?」「これ将来の為になってるの?」と思う事を、個人的な見解で突っ込んで行きたいと思います。

「特別支援で学んで欲しい」大切なこと

 

結論:将来、役に立つことであって欲しい

 

私は数学の関数がとても苦手だったし、それ以外にも苦手な授業が山の様にありました。頑張って自分がやりたい事もがまんして覚えたから無事に学校卒業できたのだけれど、大人になって関数つかったことあったっけ?…なんです。

 

じゃあ、なんでやりたい事もがまんして頑張って勉強したのかと言えば、テストの為。
そう、テストの為なんですよ。

 

だから、思うんです。
切り替えが難しかったり、すぐに疲れてしまう自閉っ子たちに必死で将来役に立たない事を教えるよりも、将来役に立つことを教えてやって欲しい。

 

日本の教育は遅れている

本を読んでいてしったのですが、欧米では小学生が電卓を使用しているそうです。暗算の文化がないためにテストでも電卓を使用するのが一般的。

 

そうした授業が当たり前なので、障がいがある子がパソコンやiPadを使用するのも普通の事らしいです。

 

娘が通う特別支援学校では、授業にiPadが出てきても「ずるい」とは言われないかもしれませんが、息子が通う支援学級ではiPadを息子だけが使用すれば「ずるい」と言う人も出てきそうです。

 

それはズルいのではなく「紙と鉛筆と暗算と黒板」を皆が一斉に使用している授業が古いのです。古いというと価値があるように聞こえますが、言い換えれば時代に乗り遅れています。

 

学校の外は、テクノロジーとインターネットで溢れていて、諸外国の子達もそれに合わせた授業にスライドしていってる。

 

日本の授業は50年前とあまり変わっていない紙と鉛筆、電卓もあるのだけれど数年間をかけて暗算の勉強。その授業だって一方的な方法で、ついてこれないのなら支援学級で勉強してね、ってちょっとおかしいなあと思うんです。

ハードだけ導入して完了なわけじゃない

パソコンやiPad、電卓を導入して「時代に乗れた!」という訳ではありません。

 

最新の授業に切り替えたから、暗算が出来なくていい訳でも字が書けなくても問題ない訳ではないんですよね。そしたら「でしょ?!」という人も出てきそうですが、そこでもないんです。

 

あくまで、本人が「字を書いてみたい」「電卓を使わない場合はどうすればいいの」と思った場合に「本人が何を使って学ぶのか選べる」といったことを、サポートする動きがあってもいいと思うんです。

 

人員不足でそれが出来ないのなら、やっぱりそこはコンピューターとテクノロジーに支援して貰えば?と思っています。大事なのは、障がいのある子が何かを学んでみたいという気持ちをサポートする仕組みだと思うんです。

教育に莫大な税金が使われていることを考える

 

日本の教育は、世界的に見ても莫大なの税金が投与されているんですよね。

 

その一部として教職員の給料も諸外国に比べてかなり高額。それだったら尚の事、障がいの有無にかかわらず役に立つことを学んでいく必要があるはず。

 

少し話が逸れますが、教育における親の自己負担もなんだかおかしいなあと思っているんです。

 

リコーダーに、ピアニカ、習字道具に、辞典各種、それに生地のわりに高すぎる体操服にしてもです。

教育への莫大な税金投与はいいのだけれど…投与した割に親の負担が大きすぎるし、買ってくるように指定されるもののチョイスがイマイチ!

 

ひとり親でお金に余裕のない私から言えば…子どもに使うお金は良い経験となり、いずれ価値や財産に変わるものにつかいたいんですよ。

 

だから、皮膚過敏の酷い息子に「あの、肌触りが悪いわりに高額な体操服じゃないとダメなのか??」と思ってしまうんです。

ちなみに私は何を学びたかったのか、考えてみました

 

じゃあ「何を学べば納得いくのか?!」と突っ込まれそうなので、考えてみました。
※昭和と今じゃ時代が違いすぎるので、私が現代っ子だったら…という想定であげていきたいと思います。

 

  • デジタルコンテンツの検索方法とデジタルコンテンツで出来る事
  • 英語、中国語の効率の良い勉強の仕方
  • 「円」は日本の価値である事(ついでにドルコスト法とかも)
  • 水分不足や肥満の恐ろしさ
  • ウイルスの広がり方
  • 料理中に火があがった時の対処法
  • 世界と日本の貧困について
  • オリンピックの選手がどれくらい多くの事を犠牲にしてきたのか
  • 障害を抱えて生まれてくるという事
  • 親になるという事

 

と、ざっと上がる事を10個だけピックアップしてみました。(まだまだあります)

みんなで同じ授業を受ける事が、障がい児にとっての平等ではない。

 

何を学ぶのか、どういう学び方をうけて大人になっていくかというのは、障がいを抱える子にとっては物凄く重要な事に思います。

 

定型発達児向けの説明では理解できず、体も疲れやすく、切り替えも難しい発達障害を抱えた子達。切り替えや応用が難しいからこそ、人生の底辺期にどういった学びを受けるのかによって、将来が大きく変わるのになと思っています。

 

「みんなと同じであること」「みんなと同じ学び方」を、正しい基準として教え込んでしまえば、授業についていくことが出来ない自分に劣等感を感じるばかり。その子が本当に必要な生き方の「手に入れかた」さえ、分からなくなってしまいます。

 

障がいを抱える人が、自分に必要な支援と必要なサポートの選択肢を多く知る(所持する)ことで、出来ることだって増えていくはずです。

(個人的な)まとめ

義務教育を反対してるわけじゃありません。
教育は必要。

 

ただ、教育は知らなかった事を知るためにあるもの。
そして、義務教育とは本来、恵まれなかった環境の人が学びのチャンスを得る為にできた教育システムのはずです。

 

一定の(高すぎる基準値)の授業についていけるかどうかで、クラスや学校を分けられる歪んだ平等が、発達障害の人達を更に生き辛くしているように思えてなりません。

 

理想の学びや理想の習得を間違えてしまうと、人生が大きくずれていくのにな…と、自閉症児を育てながら思わずにはいられないんですよ。

 

今日はここまで~

 

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