私は、自閉症児2人を育てているひとり親です。
- 娘は2009年生まれの特別支援学校
- 息子は2011年生まれの特別支援学級
娘と息子はおなじ小学生にして、それぞれに学校は別々。放課後デイの利用も2人合わせて合計5か所、移動支援もあわせると6か所。多くの方々に支えられながらここまでやってこれ、感謝の気持ちでいっぱいです。
一方で支援方法は、場所や個々人によってさまざまだということを俯瞰的に比較できたのは親だからこそだと思います。(逆に支援する側の人は「親はさまざま」と感じていることでしょう)
今回は、自閉症の娘・息子を育てながら親として考える「その支援は誰のためのものか」について、筆を執ります!完全なる主観です。
その支援は誰のためのもの?
支援者間の方々とケース会議で情報共有をしたり、自分自身の育児を振り返ったりするたびに「その支援は誰のためのもの?」と考えてしまうことがあります。
自閉症の我が子達には「支援」が必要です。とくに、自閉傾向の強い娘には「資格支援」や「時間を潰すアイディア」「過敏性に対応するグッズ」などが必要で、準備することで本人が過ごしやすくなります。
ただ、ときどき感じます。「支援」が先行してしまい、支援を円滑におこなうための「支援者のための支援」ではないかと。
たとえばですが「こんなことはないかな?」と、自分の育児の振り返りとして考えることがあります。
- 視覚的支援さえあれば良いと考え、本人の「何に取り組みたいのか」を無視していないか
- 自分(支援する側)を楽にするために、支援を与えてはいないか
- リスク管理が先行してしまい、互いの関係性に上下が発生していないか など
とても大切な視点だと思います。
とはいえ、支援の場では人手不足もあり本人の安全を考えると結果として「支援者のための支援」となっていることもあると思います。それについては、以下記事で詳しく解説しています。
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障害者当事者のための支援とは?
障害者当事者のための支援って、なんでしょうか?
私は、以下のように考えます。
- その支援が、当事者のためになっているか?(他の子の支援をそのまま応用してはいないか?)
- 今後の暮らしを豊かにするものか?
- 生活に繋がるか?
- その子の親の希望の支援ではないか?
「支援とはなんだろう?」と考えたとき、上記の問いかけが必要となってくるのではないかなと考えます。
支援者の中には「親こそ、親のエゴで支援している」と考える方もいるかもしれません。ただ、そこは少し「働くとはなにか」について、改めて考えてみて欲しい。お金を貰って働くということは「誰かの役にたっている」ことが前提なんですよね。
親というのは、たとえ支援方法が間違っていたとしても、ある程度の範囲で問題ないのではないかと考えます。障害の有無に関わらず、子ども達が親に求めるものって「適切な教育」「適切な支援」などではなく「愛情」なのだから。
まとめ:障害児支援のポイント「誰のための支援をしているの?」
今回は、障害者の親として考える「その支援は誰のためのものか」についてをお伝えしました。
自閉傾向の強い娘とグレーゾーンと呼ばれる息子を育てる中で知ったことのひとつに、障害の程度(表面に見えている困り加減)に関わらず、多くの人が過ごしやすいように作られた社会って、マイノリティの方々にとって本当に生きづらいということ。
一般的な社会の提示する暮らしにあわせるための支援は、一見して障害者当事者のためになっているように見え「そうでないケースも多いのでは?」と感じます。これからの時代に考えて配慮していくべき社会課題だなと、私は考えます。
今日は、ここまで。