【特本コラム#24】一見、平等に見えてしまう社会がとても罪

私は自閉症児2人のひとり親。
マイノリティな3人トリオ一家です。

 

3人で行動していると、ぞんざいな扱いを受けることもある一方で、優しい助けの手を差し伸べてもらえることもある。

 

そういうと「誰でもそうだよ」と思うかもしれません。

 

しかし、ぞんざいな扱いを受けることが一般的な数より多いのではないかと感じます。

 

我が子が公共の場で奇声をあげれば、舌打ちをされることもある。
パニックになり道に飛び出し、怒鳴られることもある。

 

「障害があって」と、事情を説明したところで
「障害は関係ない」と、いわれることだってある。

 

確かに「障害は関係ない」ときもあるのか?あるでしょう。
100歩譲って、私の育児管理不行き届きだったとしましょう。

 

ただ、腑に落ちないことも多々あります。
中でも、特に厄介だなと感じるのは「一見、平等に見える社会」が存在していること。

 

障害児育児に限りません。
「一見、平等に見える社会」は、そこら中にあります。

 

「女性の社会進出推進」
「男女平等」
「インクルーシブ教育」
「ジェンダー平等に向けた活動」などなど…。

 

さまざまな多様性を受けいれる風に見せた社会が、実際のところ多くの人を苦しめています。もちろん、平等な体制を整えようとはしているのだけど、このままじゃ本当の意味での平等な社会なんて程遠い気がしてなりません。

 

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例えばね、男性が作った労働の枠組みの中で、女性が力を発揮するのは本当に難しい。労働に多くの時間を捧げることができるのが前提条件だから、多くの主婦は蚊帳の外に追い出される。

 

男女平等が叫ばれる中でも、やっぱり女性の方が育児や介護の問題と向き合わねばならないことが多い。

 

残業・休日出勤・フルタイム勤務ができて当然とされる社会の中で「男女平等」「雇用均等法」なんていわれても、手ごたえを感じている女性は少ないのではないでしょうか。

 

子ども達の教育も同じ。定型発達児の子が活躍出来るための枠組みの中で、障害を抱えた子がみんなと同じ方法で力を発揮するのは無理に近い。障害を抱えていなくてもグレーゾーンと呼ばれたり、診断のつかない生きづらさを感じている子たちは「できない自分」にどんどんと劣等感を感じて成長をしていく。

 

一見平等に見える社会って、実はとっても怖いのだ。「平等」のスローガンは大々的に掲げられているものだから、取り残されている人たちは声も上げにくい。

 

平等と公平(合理的配慮)の意味だってごちゃ混ぜ。支援が必要な人に配慮することを「えこひいき」と、捉える人もまだまだ多い。その理解がない状態だと、負のスパイラルは止めることができず生きづらさを抱える人の状況は更に悪くなる。そんな状況の中で生活していると、もともとあった自己肯定感何て、一気に崩れ落ちる。

 

SDGsなどの目標は本当に素晴らしい。でも、目標と行動が伴わず「スローガン」が独り歩きし、声も上げれず身動きがとれなくなってしまっている人は、意外と多いんだよね。

 

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私たち家族も含め「社会的弱者」と呼ばれる人たちが、現代社会を生き抜いていくためには強靭な精神力で歯を食いしばって生きなければなりません。

 

社会的弱者でなくても、多くの人が歯を食いしばって頑張っているのは分かってる。ただね、歯を食いしばり続けて数十年。人が歯を食いしばり続けるには、異常な長さでしょう。

 

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手当とか支援とか、国の税金を利用して多くを与えて貰っている我が家。「税や制度によって優遇されているあなた方はラッキーだ」と、みなされるときもある。

 

ただそれは、エコヒイキではないんだよね。「エコヒイキされているのに、それでも上手く行かないのは、努力が足りないからなのでは?」といった雰囲気が漂ってしまうと何もいえなくなる。

 

支援や手当の有り無しでいえば、ある。でも、それによって「暮らしが潤っているか?」「多くの人と同じスタートラインに立てているか?」といわれたら、違う。でも、その声って本当に挙げにくい。

 

これは「一見、平等に見えてしまっている社会」が引き起こした「罪」ではないかと、私は考えます。

 

ある日突然、介護が必要になったり、ひとり親になったり、障害を抱えて生きることになったりという可能性は誰にでもあるのに。

 

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「自分さえ、自分の大切な人さえ、幸せに暮らせればそれでいい」「困っている人は自分とは縁遠い人」と、自分には無関係なひとのことなど気にもかけない…。

 

そのような、半径数メートルのことしか考えない自己優位的な立場をとる社会でいいのでしょうか。

 

私は、全くそうは思いません。自分が、生活弱者だからそのように発言しているわけではありません。(確かに、生活弱者になったから考えるキッカケができたのは事実)

 

誰かは幸せだけど、誰かは不幸。そんな社会を継続していくことは、不平等と不安定さが今以上に増す社会へ、子ども達を送り出すようなものです。安定した社会で、心豊かに我が子に育ってほしい。そんな社会を生きる若者に、自分の老後を支えてもらいたい。おお

 

もしそうならば、困り感を抱えている人へと手を差し伸べれる「安定した社会」を、身近なところから作っていくことです。

 

今日は、ここまで。

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