【特本コラム#32】福祉制度の課題は、有る無し問題と豊かさ

私は、ひとり親。

 

娘は特別支援学校に通う小学6年生の自閉症の女の子。
息子は、特別支援学級に通う小学4年生の自閉症の男の子。

 

福祉制度にお世話になってばかりですし、支援がなければ暮らしていけません。支援にお世話になってばかりで恩恵を感じる日々ですが「世界に自慢できるほどの福祉制度かどうか?」と、聞かれると「うーん」となってしまう。そのようになってしまうのは、制度の質と支援利用の難しさにあるのではないかと考えます。  

 

今回は、自閉症児2人を育てる中での福祉制度利用のモヤモヤ感について書きます。

障害児支援や教育は豊かになっている

娘が自閉症の診断を受けてから10年、息子が発達の遅れを指摘されてから8年半が経過。

 

数多くの支援先や制度を利用する中で、障害児支援や教育が豊かになっていく様子や放課後デイサービスがどんどん増える状況を目の当たりにしてきました。

 

10年前は限られた支援の場を求め、みんなが「我先に」と申し込みをしていたように思います。私達家族の住む地域にも、障害児施設は把握できるほどしか存在しませんでした。

 

今現在は、放課後デイサービスもとても増えたし療育を担う施設も当時より増えています。支援が必要な子も年々増えているので足りているか否かは微妙ですが、制度や制度に携わる支援者は確実に増えたように感じます。

 

娘が小学校にあがる頃は、特別支援学級において「情緒級」「知的」「肢体不自由」のいずれかがない学校もありましたが、現在は概ねの小学校に必要な支援級がカバーされていると耳にします。(地域差あり)  

 

特別支援のニーズが増えたことにより、制度の道筋も整っていることが感じ取れます。

我が家の子ども達が通った、インクルーシブ教育を取り入れた幼稚園について

今から約8年前のこと。娘は市内で唯一インクルーシブ教育を取り入れた幼稚園に入園し、2年後に息子も同じ幼稚園に入園しています。

 

2人とも専属の加配教員がつき、定型発達の子達と同じクラスに在籍していました。振り返ってみると当時まだ目新しい「インクルーシブ教育」に、幼稚園全体が手探り状態だったように思います。「参加できるなら、混ぜてあげるよ」といった雰囲気が漂っていて、合理的配慮が積極的に取られるわけではありませんでした。

合理的配慮とは、支援が必要な方々にとって過度な負担とならない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な配慮のこと。

参照:http://madewithangus.com/より

 

幼稚園側から積極的に「支援児童のための環境を整える」といった体制は多くみられませんでした。「参加できればしてもいいよ」といった、あまりにも優しく残酷な雰囲気に、親としては疎外感や孤独を感じる日々だったように記憶しています。

 

行事の都度「(娘さん、息子さんは)参加出来ません」と断られるがあったり「無理せず休まれてもいいですよ」といわれることもあり、次第に「我が家は他所と違う」と認識するようになりました。幼稚園側には悪気があったわけではなく、それが当時の優しさと配慮だったように思います。だからこそ、障害を抱える子の親として凄く考えさせられた数年間だったように感じます。

幼稚編へ|母親として私も行動を起こした

子ども達が幼稚園時代に、職員の方々には仕事を増やす形にはなりましたが私の方から何度もかけ合いました。

 

『「できない子」ではなく「支援があれば、取り組める子」』と知って欲しかった。

 

娘や息子も行事に参加できるように視覚的な支援を増やして欲しいと頼んだり、ビニールテープを床に引いて娘の立ち位置をわかりやすくして欲しいなど提案を積極的にしました。

 

我が子達もみんなと一緒に参加させたい思いや障害者への理解が浸透して欲しい思いがありました。また、職員の方々だけでなく同じクラスにいる子ども達にも「支援があればできる子」と、認識してほしかったです。

 

「みんなと同じやり方では無理だけど、配慮があればみんなと一緒に参加ができるんだね!」と。

 

子ども時代に娘への配慮や支援を見て育った子達の数人は、共存意識をもったまま大人になっていく子もいるかもしれないと考えました。

 

また、障害を抱える子が「ただ在籍すること」をインクルーシブとして欲しくなかったし、このままでは幼稚園独自のインクルーシブになってしまうようにも感じました。

「制度を利用できるかどうか」「支援内容が豊かかどうか」は、別の話し

現在、娘は現在小学校6年生で息子は4年生。娘が、2歳過ぎに自閉症診断を受けてから 10年近くの歳月が経ちました。

 

我が子達が幼稚園の頃と比べると、障害を抱える子達の居場所は増えました。放課後等デイサービスも増えたし障害を抱える子達の暮らしのためのサービスも増えました。

 

ただ、なぜか暮らしが豊かになった気がしません。
この違和感は、何でしょうか。

 

障害を抱えた子の過ごせる場所は「あるなし」でいえば「ある」。

 

しかし、そこが本当に障害を抱える子達が過ごしやすい場所で親御さん達が安心して預けれる場所かどうかは疑問が残ります。障害者就労においても同じ。就労率は上がっているし働く場所は増えたけれど、障害を抱える方々が「働きやすい環境が整えられているかどうか」「本当にしたいことはそれだったのか」は、悩ましいところです。

 

何を伝えたいのかといえば、「楽しみを選ぶこと」が定型発達の方々に比べてあまりにも限定的。限られた中から選ぶしかない不自由さは「当事者生きる力」「親の育てる気力」も奪う場合があります。

 

支援制度やサービスは増えたけれど、選択肢は限られている。「選ぶ」という豊かさが、定型発達の方々やその家族にしか許されないものだなんて、とても悲しいこと。選ぶ自由が増え、暮らしの質が高まって欲しいと願っています。

まとめ:福祉制度の課題は、有る無し問題と豊かさ

福祉制度や支援の場が増えたことで、着実に日本の福祉も豊かにはなっています。ただ、定型発達の方々と同じように障がいを抱える方々の暮らしに「選ぶ」という豊かさがあまりにも少ないと感じます。

 

今すぐにではなくても、こうやって疑問を感じて声をあげることで数年後には誰かが気付いて制度を変えて行ってくれるといいなと考えています。

 

今日はここまで!

 

声をあげ続けていたら、国会議員の方と話すことになった話はこちらから。
>>>見ず知らずの国会議員の方とzoomで子育ての話をした深夜

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