【特本コラム#33】発達障害児の母になる前に、教えて欲しかった大切なこと

年末に、こんなツイートをしました。

 

自閉症の子のお母さんになったら「想定している人生より1万回程度多く傷付くよ」と教えて欲しかったなと思う。他にも傷付いた時の対処法などもいくつか教えておいてほしかったなと思う。 一方で、サイレント的ではあるけど、味方いっぱいいるよ、と。 まだまだ、のびしろが多い障害児育児と思う。

 

発達障害児の母というのは数年の間「障害のない子」と信じて可愛らしい成長を見守ります。ところが、ある日から突然にして「障害者の親」として生きて行くこととなるのです。

 

特例を除き、多くの方がショックを受けます。また、あまりにも長い間「大変」とか「ツラい」といった感情と共に生きてかなければなりません。なぜでしょうか。

 

多くの場合、障害を抱えたことによって「人と違う道を歩むこと」や「思い描いた育児ができないこと」と思いがちですが、実際は違う気がする。

 

「人と違う道を歩むこと」といえば、オリンピックに出るようなスポーツ選手や芸能子役だって同じ。日本では、外国人の血が混ざった子ども達も人と違う道を歩んでいるのかもしれない。我が子が人と違う道を歩んでいる人は発達障害の子の親に限りません。

 

というわけで「人と違う道を歩むこと」は、本質的な問題ではない気がする。

 

「思い描いた育児ができないこと」については、みんな該当しそう。親の理想通りに育児がすすんでいたら、それはそれで問題。あんなに可愛かった我が子が「うっせーババア」といってくることもある。誰しもが不登校になったり受験で挫折したりと、なにかとスムーズに進まないのが育児。

 

というわけで「思い描いた育児ができないこと」も、本質的な問題ではない気がする。

 

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個人的に我が子の発達障害の診断を受けてショックだったことは、誰も本当の意味で手を差し伸べてくれなかったこと。

 

診断を受けたときにも、これからどうなるのかを詳しく説明して貰える時代じゃなかった。また、親族・家族中みんなが「原因探し」をしていた。「あのときのあれが良くなかった」とか「誰かにそうした遺伝子があるんじゃないか」とか。「なぜ、こんなことになるの」と、泣く人もいた。

 

「泣かれるような子なんだろうか」と、とても苦しかった。

 

幼稚園に就園し集団の中で過ごす年齢になると、今度はさまざまな場所で想像を絶することがあって、意外と傷付いた。相手に悪気がないケースも多く、悲しみのやり場がない気持ちに余計に傷口が開いた気分だった。

 

公共の場に出れば「静かにさせろ」「じっとさせろ」と怒られたり、集団生活になると「遠足休んでいいですよ」といわれる時代だった(今も?)。

 

静かにできない、じっとできない外的要因の理由があるのが発達障害です。遠足をはじめ、さまざまなイベントや日常に、一般的でみんなと同じ方法では参加できないのが、発達障害。逆をいえば、支援さえあればみんなと同じことができるのが発達障害なのに。

 

また、メディアやインターネットの影響によって、発達障害の情報を曖昧に受け取る人が増えたことで「才能があるから探してあげなさい」とアドバイスをくれる人も増えた。誰しも才能はあるかもしれないし、ないかもしれない。これは発達障害に限らない。

 

もっと傷つくのは、私をよく知りもしないのに「選ばれたお母さん」「子どもは親を選んで生まれる」「お母さん強い」といった言葉の数々。私だって、普通のお母さんになるはずで、みんなと同じ手探りで育児を始める弱い人間のひとりです。※こちらについては、「あなたを、えらんで生まれてきた」に苦しむ自閉症の母の私でも詳しく解説しています。

 

個人差があるだろうけど私の場合は、我が子が喋らないこと、寝ないこと、食べないこと、パニックを起こすことよりも、支援の少なさと社会側の理解の少なさに幾度も傷ついた。支援が必要なのにも関わらず、支援が届かぬ状態で一般的な暮らしに合わせて生活しなければならないのが結構厳しい。もちろん、優しさや支援に救われることだって無数にあるけれど、一般的な育児に比べて傷付きすぎではなかろうか…。

 

だからね、発達障害の子の親になったら「1万回くらい周囲に傷つけられる可能性がある」と、知っておきたかった。

 

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もちろん「福祉制度」は、私では把握できないほどたくさんあります。でも現状、制度はあるけれどリソース不足。支援者も足りないし、支援者育成の時間も足りない。

 

他にも問題はあって、支援に携わる人でなくとも「発達障害」について学んだり知ったりする機会はほとんどない日本。そして「休む・遊ぶ=悪」という文化がまだまだ蔓延って(はびこって)いる日本。支援が足らず、普段大変な思いをして暮らしと向き合わなければならない人ほど、休んだり遊んだりして気持ちを切り替えることはとても大切なのに。

 

まだまだ気持ち的に発展途上な日本で「多様性を受け入れる」ってどこから出てくる言葉はどこからでてくるんだろう。発達障害の子(その家族に)混ざれるなら混ざっていいよって視点は、けして多様性ではないと私は考えます。

 

発達障害児の親になる前に「1万回くらい他者によって、支援不足・理解不足によって傷付く可能性があるよ」と知っておきたかった。そしたら、ひとつずつ傷付くたびに「一つ減った」とカウントできたかもしれない。

 

また「障害は子ども本人に原因があるわけではなく、環境側に問題がある」と事前に知っておきたかったな。そうすることで、幼少期の育て方も大きく変わったと思う。我が子に謝りたいことだらけだよ。

 

今日は、ここまで!

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