20代の頃は「憧れる人」が大勢いた私。
40代になると「こんな高齢者にはなりたくない」と考えることが増えました。
高齢者になる前に、輝かしき「中高年のスタートライン」に立った今!(誰?!笑)
「どのような中年時代を送りたいか」を考えていました。だけど、どちらかといえば「こんな中高年にはなりたくない」だけ明確にしておけば、とりあえず目指す人物像になれそうかなと感じます。
あげればキリがないけれど「なりたくない中年像」について、5つほど表明しておきましょう!
嫌いな人の上げ足はとらない
嫌いな人は嫌いなままでいい。無理に好きになる必要もないし、ましてや上げ足を取るようになったら、心が腐れ始めた証拠だと思う。
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楽観的であると、悪い人にならない
イライラする人と張り合わない
一緒にいてイライラする人と張り合うことほど時間の無駄はない。
可能ならば速攻で離れるべきだと思う。人と離れるって勇気がいるけれど、老後に思い出したくない思い出が増えるよりはいいと思う。
「こうあるべきた!」と一生懸命に主張する人にはならない(近寄らない)
「こんな生き方あるよ」程度に教えてくれる人はいいけれど、「こうあるべきだ!」と主張する人達といると本当に疲れる。みんな、自由に生きて良いし、考え方も自由でOK。
とくに、私はネットワークビジネス関連、宗教関連の人達に絡まれがちです。もちろん私を思ってのことだけど「わたし、それに魅力を感じないんだよね」ということには近寄らないようにしています。時間は有限だし。逆に、他人の時間も有限だからなるべく奪いたくない。
「将来のために今を我慢!」は、最小限にとどめる
・将来のために頑張って貯金
・将来のために今は我慢
「将来のため」の「将来」って何?!思い描く将来もないのに、無題に歯を食いしばることは辞めたい。思い描ける将来を作るためには、今への投資が必要。将来が思い描けるようになってから、将来に必要なものを備えるために歯を食いしばりたいよね。
お金がないと生きていけないという人もいるけれど、本当に生きていけなくなるのは時間。お金は、今の日本なら借りたり援助や保護を受けたり、なんとかなる。でも時間は無くなったら終わり。
だからその時間をなるべく自分の大切な人や(ときに1人で)楽しいことに使いたい。他人からしたら「しょうもない時間」といわれても、自分にとって楽しかったらそれでOK。
無駄な時間って、自分にとって楽しくない時間のこと。その楽しくない時間を、どうすれば最短にできるかが、何より大切なライフプラン計画だと思う。
他人の人生を生きない
「他人の人生を生きない」とは、いい換えれば「自分の人生を生きる」ということ。(自戒も込めています)
こんな格好をしたら周囲がどう思うだろうとか、親を困らせるかもしれないとか、子どもに申し訳ないとか‥‥。私には、そうした人目を気にする側面があります。意識しないと自分の意見よりも他人の視線を気にしてしまう悪い癖があります。
でも、私だけじゃないはず。日本には「30代のメイク方法」とか「40代に似合うコート」とか「60からのヘアスタイル」などといったキャッチコピーがそこら中に溢れているし、そうした基準を求める人が後を絶たないから需要があってのことだと思う。
誰かが作り上げたその基準と、自分のスタイルがかけ離れていないかどうか照らし合わせて自分を測る人が多いのでしょう。
でも、誰かのことを気にしながら生きるなんて本当アホくさい。誰かに迷惑がかかるようなことなら、若干の配慮が必要な場合もあるけれど、そうでないなら早く自分の基準を見つけるために時間を割くべきだと思う。
できるだけ自分の人生を生きたい。私にはそうした気持ちがあります。
まとめ:「こんな中高年にはなりたくない」5選!
- 嫌いな人の上げ足はとらない
- イライラする人と張り合わない
- 「こうあるべきた!」と一生懸命に主張する人にはならない(近寄らない)
- 「将来のために今を我慢!」は、最小限にとどめる
- 他人の人生を生きない
残りの人生は、こうしたことを意識してより良い自分らしい人生を送りたい。
今日は、ここまで!