私は、ひとり親で障害児2人と暮らしています。
2009年生まれの「特別支援学校に通う娘」
2011年生まれの「特別支援学級に通う息子」
共に自閉症です。
日々、想像を遥かに超えるトラブルが多いのが特徴ですが、今回もまた私のイメージする斜め上の問題がありました。我が家の中が警察官で溢れたのです。詳しくお伝えしましょう。
困ったら警察へ!
我が家の子ども達は「自閉症」という障害特性から、パニックになるときがあります。特に娘はその頻度が高い。息子は頻度が少ないのだけれど、一度火がつくとコントロールが効かない。
力なんて、子ども達の方が私より強いのだから2人同時のパニックを私ひとりで沈めるのは不可能。だから、以前も近くの交番に電話してきてもらったことがあります。
そんな経緯より「児相」や「医療」からも、自分たちの場所が閉まっている夜間や休日は警察を頼るようにいわれていた。
「前回のこともあるし、ご家庭の状況も分かってくれているからサイレンなど鳴らさずに助けに来てくれますよ」と。
それなのに、サイレン鳴らして10人程度の警官が我が家に押し入り、家宅捜査的に写真撮影などが始まったのはなぜでしょうか。
警察!我が家に突入!
精神科病院を退院2週間経過した娘が、日曜日の早朝に大きくパニックになりました。それに対し、堪忍袋の緒が切れた息子もパニックに。
一番困る状況…2人の子ども達が同時にパニックに。
2週間前まで娘は入院していて、院内では落ち着いていたそう。息子も、夜中に起こされたりパニックに怯えない生活に穏やかさを取り戻し明るくなってきました。息子は、学校でも問題行動を起こすことなく落ち着いた日々が続くようになりました。
退院後の娘は病院での過ごしのように、穏やかではありません。学校や放課後デイでの小さな集団生活や切り替えの難しさ。それを自宅に持ち帰ってフラッシュバックでパニックになる。それに家では、細やかな支援も提供してあげられない。だって、家庭は「暮し」そのものだから。
パニックになって刃物を持った娘、そして私を守ろうとした興奮状態の息子。刃物は隠し、私は暴力的になった息子を取り押さえるのだけど、私ひとりじゃ、2人の子どもたちのパニックの仲裁は難しいんですよね。
児相や医療のアドバイスを元に、近所の交番に電話した。
前回のように…
サイレンを鳴らさずに出向いてくれて…
女性警察官が家に入ってくれて…
男性警察官が息子と優しく話をしてくれて…
など程遠い状況となってしまった。
サイレンを鳴らしたパトカーが我が家に来て、盾と警棒を持った警官が家に10人近く上がり込み、現場検証が始まった。刃物の写真撮影も始まって、私に事情聴取が始まった。
大きな声で「女の子は発語なし!」「男の子は障害あり!」って大きな声で報告し合う警察の方々に子ども達は怯えてるし、正直イラっとした。呼んだのは私だけど勝手ながら早く帰って欲しいと思った。
息子に事情聴取が始まったときは、「辞めてください」と、とっさに口から出た。
とはいえ、なぜこのような状況になったのかといえば、私が「刃物が出たので助けに来てください」と、電話で伝えたのが問題だったらしい。正解は「緊急性はないのですが」と先に伝えなければ、こうなってしまうそうだ。
しっかりと警察の業務を熟して帰られました。唯一助かったのは、一番若そうなお兄ちゃんが泣く息子とポケモンの話をしてくれたこと。(世代を超えて話が通じるポケモンって凄いよね)
その後の警察の話はこちら。私的な感情が絡んでおり、有料記事にしています。興味がある方のみ購入してお読みくださいませ。
この記事は、ひとり親で2人の自閉症を育てる私の赤裸々ブログ『自閉症とひとり親の暮らし|警察さんと、大惨事!』の裏話となり…
問題はなんだ!?
私が交番に電話した時点で「緊急性はないのですが」と付け加えなかったのが問題の発端だそうで、私が悪のでしょう。しかし正直なところ、そんなルールは知らない。まあ、起きてしまった問題はどうしようもない。
警察は警察の仕事を適切に熟されたし、児相や医療からの「困ったときは警察を」のアナウンスを元に、私は自分の判断で電話をした。「あんたのせいだよ」と、思う人もいるだろうけど、そのときにはベストな決断だったと思ってる。
でも、あまりにも予想外な展開で私もトラウマだし、きっと発語のない娘もきっとトラウマ。息子は言葉にしてショック感を伝えている。
とても、仲良しな姉弟だったのに「○○(娘)が家族に居なかったらこんな問題はいなかった」とまで口にするようにもなった。(年齢的な成長もあるかな)
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今回の騒動で感じた論点は「家族にどんな問題があっても、親だけが責任を負うべきなのか」ということです。
一般的には、子どもの責任は親の問題と思われるケースが非常に多い。ただ、支援の場でも複数人での対応が必要な発達障害の子のパニックに対して「親だけで問題解決すべき」と考えるのは不自然にもほどがあります。
一昨年、私が手術をすることになり「宿泊デイ」といって、障害を抱える子を泊付きで預かってもらう制度の利用を依頼した。日頃から慣れた放課後デイサービスのでの宿泊で、支援員も日頃から我が子達とは顔見知り。それでも、職員の方々からは「人手があるかどうか」「対応できるかどうか」と何度も懸念された。その後も、それ以外の施設でも宿泊を何度頼んでも断られるのが現状です。
日頃、発達障害を抱える子たちのケアのプロの方々。それでも複数人で対応しなければ「対応が難しい」と断られる現状で「家庭での責任は親に」と丸投げされる制度はこのままでいいのだろうか…。
介護と障害児福祉に差があると思った
昔はね「親の介護」も「子育て」も、当然のこととして「家族内で責任を負うべき問題」とされていました。それが、介護保険制度に制定によって「介護問題は社会で解決すべき問題」という位置付けにかわりました。
それまでの介護制度は、保育所に我が子が入所できない問題と同じように「家庭に子どもを見れる人がいるのなら、お子さんは預かれません」という制度だった、それが、介護保険制度の制定によって「本人の健康状態によって介護が必要と認定された場合」は、介護保険のサポートを受けることができるように変更となりました。
介護が「家族で責任を負うべき」という課題から、社会問題へとスライドしたのです。一方で育児については「親の責任であり、社会問題ではない」という制度のまま。つまりは「家庭内で問題解決できる責任者がいるのなら、公的な支援はあたえられない」という方針です。
まてよ?!
少子化対策のために「生まれる前の命」には多額な税金をかけておいて、生まれた後の「虐待」「貧困」「障害児育児」などの「生まれたあとの命」への過酷な現状は「家庭内で解決」というコンセプトでいいのか?!
我が家のことをね、外野から見て「大丈夫?」と心配してくれている人は大勢いると思います。我が家のことに限らず「この家族大丈夫かな」と思うレベルの家庭は、今や山のようにあると思うんです。
でも、制度がない。あったとしても自己申告制、自己申告制だとしても使えるかどうかは微妙なライン。
社会側の方から「こんな制度を使ってはどうですか?」と、いえるほどの仕組みが必要な時代に突入しているのではないでしょうか。
今日は、ここまで。