【自閉症とひとり親の暮らし|2学期編⑫】たまには、私のことを…

年末です。

 

今年は、さまざまなことがあって気持ちが揺らいでいます。

 

文章化が好きな私はブログ上やSNS上の文字の世界では元気にみえるかもしれません。しかし、現実の世界では心的にツラいものがありました。

 

このブログを読んでくださる方々の中には、実際の私のことを知ってくださっている方もいます。支援関係者の人は、ここ1か月化粧もせず一日中パジャマのママの私に「どうしたんだろう」と思っている方もいるかもしれません(いないかもしれませんが)。

 

リアルとネット上の知人の狭間で、発信に悩むところですがやっぱり記録しておこうかなと思いました。いつか大きくなった私の子ども達が読んでくれるかもしれないし、私とおなじ「ひとり親の方」や「障害児育児をされる方」の参考になるかもしれないし。

 

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今年は娘がレスパイト入院を繰り返しました。彼女が大きく崩れ出したというよりは、彼女のパニックの力が強くなったことや私も心身共に経年変化を迎えていること、また息子が「なぜ、僕のお姉さんは起こってばかりいるのだろう」とフラストレーションをあらわにするようになったことが我が家の次の課題となったような気がします。どこの家庭にも起こる、家族の在り方の変容ですね。

 

私は第一子となる娘を溺愛し、今でも何より大切な存在であることは変りません。ただ、一緒に暮らすのが苦しくなってしまったことで自分を責めることも増えました。離婚を決めたときも、何があっても守ってみせると腹を括って出たはずなのに、そんな自分が情けない。

 

1回目の入院の際に、医師から提案を貰いました。「お母さんひとりで育てられない時期に突入したんだと思います。娘さんを施設に入れて、支援の中で暮らしてもらい生きる力をつけませんか」と。言葉にできないものがあり、しばらく黙り込んでいました。

 

私は非常にメンタルが弱く、よく泣きます。人前では気丈に振る舞う癖がつきましたが、子ども達を上手く育てられない罪悪感や娘のパニックの度にクッションを顔に押し当てて泣いています。

 

このときも泣くまいと黙り込んだ末、やっとの思いで口にできたのは「先生が仰ることは正論ですが、すぐには決められません」と。涙は堪えきれず、医師や看護師・ケースワーカーの方々のいる中、珍しく人前で泣きながら答えました。

 

その後、施設入所などの手続きの問題で納得がいかないことや悔しい思いが募り、支援者の方々に感情をあらわにすることもありました。上手く行かない毎日に心が潰れそうになる日も続きました。

 

ですが、このような暮らしの中だからこそ「障害者と暮らすこと」について改めて考えるキッカケを掴んだことや「支えてくれる方々への恩」を知ることもできました。

 

自分がいかに無知も知ることができたし、必要とされる喜びを知ることもできました。一方で、誰かに必要とされたり、許して貰ったりすることが人生をより豊かにしてくれるのだと知ることもできました。

 

  • 離婚したことはひとつも後悔していないこと
  • 何度生まれ変わっても障害を抱えていない誰かより、またこの子達と家族になりたいと強く思うこと
  • 守りたい誰かがいる人生というのは、生きる糧となることを知れたこと

 

障害児育児をすることで、私自身の構成要素が豊かになったと強く感じています。

 

来年から施設入所になる娘のことを、一般的な家族のように身近で守ることはできなくなります。とはいえ、彼女のこれからの人生がよりよくなることを世界中の誰よりも祈っています。

 

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「一緒に暮らせる方法を考えてみては」というアドバイスも何人にも貰いました。もちろん、私もそれを考えなかったわけじゃない。

 

ただ、娘のこの先の人生と息子の思春期突入や私の年齢を考えると、3人で暮らしていくことが現時点でのベストな選択とは思えなかった。母親が自分の多くを犠牲にしていくことが、ベストな障害児育児の解決方法だとも思えません。

 

私は今年1年の間に、大切だと思っていた人や仕事といった多くを手放しました。現在の障害児育児の制度と支援では、私が一般的な暮らしを望むのは無謀ともいえました。手放さなければ、私は最優先事項である「育児」を乗り切れなかったように、あのときは思えたのです。今思えば投げやりだったかな。

 

「我が子のためなら」という話や「母親が身を粉にして」という話は、美しくもありますが障害者との暮らしはそんな綺麗ごとではありません。家族だけが責任を抱え過ぎる風習は、後世に残すべきではないと考えます。

 

少し先の未来では、障害児育児をする親御さんも一般的な暮らしを望めるような社会となるのが、本当の意味で豊かな社会でしょ。その中で私ができることは、発信。発信によってリアルを知って貰い多くの方に考えて貰うキッカケに繋がってほしい。

 

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最後に、私自身も「これからのこと」を考えていくいいキッカケとなった一年でした。残された私の人生をどのように使いたいのか。子ども達とどのように向き合いたいのか。人生の後半戦で、何を大切にしていきたいのかを改めて考えることができました。

 

障害者の家族任せの育児制度が、どれだけツラく孤独なのかを改めて知ることができた。知ったからといって私に何か大きなことができるわけではありませんが、人の心の痛みや誰かの孤独感を取りこぼさないように生きたいと強く思った一年でした。

 

本年もあと数日。
日々を大切にしていけますように、私もみなさんも。

 

今日は、ここまで。

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