【自閉症とひとり親の暮らし|2学期編⑩】3回目の退院後

私は、ひとり親で障害児2人を育てています。

 

2009年生まれの「特別支援学校に通う娘」と2011年生まれの「特別支援学級に通う息子」、共に自閉症です。

 

先日、娘が3回目のレスパイト入院から退院してきました。その後の我が家のようすをお伝えします。

3回目の娘の退院について

3回目の娘の退院当日からの1週間を、時系列でお伝えします。

 

退院:当日

退院当日。PM16時の退院時から、就寝までとても落ち着いていました。

 

2回目の退院時は帰宅後すぐに大パニックになったために、私の希望で頓服(リスパダール錠)を飲ませてから帰宅。スケジュールも明確に提示して分かりやすいようにしておきました。

  1. お家に帰る
  2. 荷物のかたづけ
  3. ママとおやつを食べる
  4. ○○(弟)を迎えに行く
  5. お家に帰る
  6. 夕ご飯のできあがるのを待つ
  7. 夕ご飯
  8. 薬を飲む
  9. 好きな遊び
  10. お風呂
  11. 薬を飲む
  12. ドライヤー
  13. 好きな遊び
  14. ハミガキとトイレ
  15. 寝る

しかも、前回は退院時の大荷物の片付けに手間取ってしまい「娘の翌日の服の準備ができないこと」や「母がバタバタしていることがパニックの引き金になったのでは?」と考え「前日に持って帰れるものは持ち帰りたい」と、看護師に要望を出して取りに行ったことも、よかったのではないかと考えます。

 

1回目も2回目も3回目の入院も…

 

娘は、入院中とても穏やかで夜もよく寝ると看護師から報告を受けます。

 

我が家での暮らしからは想像もできませんが、想像するに多くの刺激がないことを起因にフラッシュバックなども少ないのかなと素人目に感じています。「娘が穏やかなら、どこでもいい」と、最近はそう思うようになりました。

退院後:2日目(水曜日)

穏やかな起床と通学からのスタートです。

 

次の日の学校のスケジュールも、学校の教員が準備してくれていたために安心して学校へ迎えたのではないかと思います。

 

放課後デイでも落ち着いて過ごせていたとのこと。

 

ただ、帰宅してからの急激なパニック。その前のところの原因も見つけることはできませんでした。フラッシュバックかもしれないし、気持ちの持ち帰りかもしれない…何か家に原因があったのかもしれない。分かりませんでした。

退院後:3日目(木曜日)

寝起き直ぐのパニック。硬い本で頭を殴られて目が覚めました。

 

朝食用のパンをぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨てられ、続けて準備した朝食もぐちゃぐちゃにして排水溝に捨てられました。

 

悲しかったな。

 

学校でも放課後デイでも落ち着いて過ごしたそうです。
放課後デイに迎えに行ったときはサメザメと泣いていました…何があったのだろう。

 

家庭で、夜は比較的落ち着いていたように思います。

退院後:4日目(金曜日)

寝起き、通学問題なし。

 

学校では少し困惑したシーンもあったようですが、職員が別室での対応などをしてすぐに静まったそう。

 

放課後デイに迎えに行ったときも落ち着いていましたが、帰路に向う社内の中で確認作業が増え始め何か不安なのかなと思っていたところで、息子が炎上。

 

「なんで、いつもそんなに怒っているの!」と。

 

3人共、傷付きながら泣きながら帰宅。
自宅では、夕食を投げ飛ばされカップラーメンで済ませました。

退院後:5日目(土曜日)

寝起き問題なしですが、その後朝に少しパニックになり10分程度で治まる。

 

終日放課後デイに送り、特に問題なく過ごしたそうです。

 

帰宅後またパニック。私も限界に達し、別室で泣いていました。

退院後:6日目(日曜日)

昨夜のパニックを引きずっての日曜日の朝。

 

娘のいる日曜日の朝は、急いで朝食を作らなければパニックになってしまいます。小さいときからの習慣…「スケジュール化を事細かにしては?」など、さまざまな提案を貰いましたが改善することはなく数年が経過しています。

 

この日は、私も娘より早く起きれたらよかったものの、私も加齢が止まりません。起きた瞬間から疲れている日ばかりで、そんなにすぐには起き上がれません。それが彼女のパニックの引き金にもなる。

 

この日は、頓服をいつもより1錠多めに飲ませて、休日を過ごすことにしました。

 

娘の希望の「図書館」や「レンタルDVD」「タイ焼き屋」など好きなものを組み込んだ1日にし、弟もそれに付き合ってくれていたのにも関わらず、夕方はまた大きくパニックに。

 

弟もパニックになって、大騒動。そんなときは警察を呼んでくださいと、児相や医師に提案を受けていたのだけれど、結果として過去に呼んだ時も直接的な解決には繋がらなかったために時間が経つのを待った。

 

そんな、最初の一週間でした。

「歩み寄り」は「知る」ことも含まれる

ブログは「日記」を書いても「つまらないし、意味がない」といわれます。

 

そんな私はなぜ、こんな時系列の日記を書いているのか…。

 

それは、知るってとても大切だと思っているから。

 

支援って、その家族にも歩み寄ることがとても大切だといわれているようですが「歩み寄る」って結構難しくないですか。

 

障害児の家族から悩みを打ち明けられたわけでもないのに、歩み寄るって本当難しいことだと思う。むしろ、余計なお世話だよ!と思われてしまうこともあるかもしれない。

 

少し悩みを吐き出してくれたのならば「傾聴」したりでもできるのだけど、何も話してくれない親に対して「寄り添」って結構ツラいと思う。

 

だから、思った。

 

何もできなくても「知る」だけでも意味があるはず。知らないのと知っているのでは、たとえ何か行動に移せなくても意味のあることだと思う。

 

そう思って私は書き続けています。

 

今日は、ここまで!

最新情報をチェックしよう!
>