【自閉症とひとり親の暮らし|3学期編①】私達3人家族の均衡点

私は自閉症児2人のひとり親。

 

娘は特別支援学校の小学6年生。
息子は特別支援学級の小学4年生。

 

娘は、中学校1年生の春から施設入所する予定です。最後の正月くらい家族3人揃って過ごしたい思いはありました。ただ、大きくなった自閉症児2人と40代を超えた女性が3人で過ごすって、傍から見るより難しいことなのです。

 

家族内で問題が起こらないように、2学期の終業式から娘にはレスパイト入院をしてもらいました。そして、3学期開始目前の昨日(2022年1月5日)、退院しました。

 

迎えに行くと「ママだ」と走ってくる姿。立て続けて「今日は?」と、何度も晩御飯を確認してくるところ。同じ単語を何度も繰り返してくる姿に微笑ましい気持ちと、また今日からこの子の抱える問題に家族で乗り切らねばならない重圧感が混在します。

 

私は子ども達2人共ずっと変わらず愛しているけれど、時折「娘と一緒にいたくない」と思うことがあります。多くの人は、その気持ちを理解できないことでしょう。同じように私も受け入れることができません。この矛盾した自分自身の感情を受け入れることができず、日々葛藤しています。その気持ちを書き綴っておきましょう。

 

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私は「娘のことを愛している」とハッキリ提言できます。

 

ただ、一緒に日常を過ごすだけでツラいときがありますし、正直なところツラいときの方が多い日もあります。

 

だけど、レスパイト入院をさせるために娘と離れるときはいつも不安で苦しくて仕方がない。矛盾していますよね、私もそう思う。でも、十分に喋ることができない娘への心配な感情が頭らか離れないんです。

 

「お風呂では、しっかりと洗って貰えているのかな」
「トイレは、行きたいときに行けているのかな」
「パニックになって、職員の人達に嫌われていないかな」
「痒いところや痛いところを、アピールできているのかな」
「なにか伝えたいときのサインを受け取ってもらえるかな」

 

…取り上げるとキリがない。

 

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実際にレスパイト入院中も看護師から報告を受ける度に胸が痛くなる。

 

「爪をはがされていました」
「生理用ナプキンを外して、噛んでおられました」
「カーディガンのボタンを全部噛んで壊されていました」と。

 

鍵付きの部屋で娘がひとりのときにとった行動を聞くたびにツラくなる。

 

余暇時間が苦手な娘。
余暇時間を埋める方法を知らない娘。
余暇時間を不安に感じる娘が。

 

なにかを噛んだり爪を剝がしたりして、どうにか落ち着こうとしたのだろうと思うと切なくなります。看護師の方を責めるわけではありません。人手不足の中、見てくださることに至っては感謝しかありません。

 

家族でいると、娘は自パニックになる。そのことで、自傷行為をくり返したり他害行為に至ったりしてしまい、彼女自身も大きな後悔をする。

 

また、息子も怒りがコントロールできなくなる。私もツラくなる。

 

だからレスパイト入院をするのは最善の策と思いたいけど、やっぱり娘の病院でのようすを聞くと「預ける自分は酷いのではないか」と考えてしまう。それに「ツラくなるくらいなら自宅で私が世話をすればいいのではないか」と、やっぱり自分を責めてしまう。

 

その一方で、個人としての生き方全てを犠牲にして障害児の育児をしていくことが、適切な解決方法だとは全く思えません。同じ境遇の親御さん達にも(もちろん私にも)、自分の人生を大切にすることは、子育てにおいても意味があることだと思うし。

 

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グレーゾーンと呼ばれる息子にも不安はあるけれど、やっぱり娘とは違う。

 

暇な時間は何かすることを見つけることができるし、トイレも自分の意志でいくことができるし、体の不調も訴えることができる。不安の要素が娘とは全く違う。

 

きっとわかる人にはわかるけど、わからない人にはわからない感情だと思う。全員に理解してほしいなんて思ってないけれど、せめて障害者と定型発達者の自立を同じに捉えないでほしい。

 

***

 

今年になって、レスパイト入院を繰り返し来年度からは入院となった娘の背景から、よく云われる言葉がある。

 

「今年から急に調子が悪くなったのですか?」
「最近、調子悪いの?」と…。

 

調子は、ずっとずっと悪いの。…いや、違う。ずっと調子が悪いのではなく、ずっと娘の生きにくい世界が続いているの、生まれたときから。だから、その娘に付き合う家族もみんな大変。

 

  • 娘は成長し、力が強くなった。(暴れると抑えられなくなった)
  • 息子も成長し、娘の行動に違和感を感じるようになった。
  • そして、私は心身ともに経年変化を迎え衰えている。

 

理想をいえば、家族3人でもう少し仲良く暮らしたかったけど「仲良く」も「暮す」も、その両方が私達には難しかった。「仲良く暮らす」といった、理想を追い求めていたら家族が壊てしまうと、よく理解した。だから3人それぞれにとって、よりよい暮らしの均衡点を探っていくことが先決と感じました。

 

決断することで暮らしも大きく変わるはずですし、家族の大きな節目となるでしょう。できればこの選択がいい方に転がってほしいけれど、そんなの自分ではコントロールできない。

 

それに人生の多くの結果なんて、誰にも分からない。だからこそ、周囲と同じ暮らしをすることが、いい人生の答えだとも思えない。自分達に見合った新たな暮らしのバランスを見つけることがマイノリティ一家である我が家にとって、とても大切なことだと考えています。

 

今年の度重なる娘のレスパイト入院や来年度からの施設入所については、娘の調子が今年急に悪くなったとか、私が娘のことが愛せなくなったとか、息子の性格が変わったとかは一切ないのです。これが、私達の在り方であり生きやすいように手探りで道を切り開いている渦中、結果がどうなのるのかなんて誰にも分からないこと。

 

それを知って貰うことも支援のひとつかなと思って、ここに書き残しておきます。

 

今日は、ここまで。

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