【自閉症とひとり親の暮らし|3学期編②】きょうだい児問題|僕と姉と、どっちが好き?

私は自閉症児2人のひとり親。

 

娘は特別支援学校の小学6年生。
息子は特別支援学級の小学4年生。

 

本年度、娘は4回ほどレスパイト入院を繰り返しています。

 

一番直近であれば、冬休み中のレスパイト入院。いつも娘のパニックや睡眠・食事に合わせてくれている息子は本当にノビノビと冬休みを過ごしていました。傍からみるとダラダラなのかもしれませんが…。

 

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そんな冬休み中を経て、娘が退院した日の夜に息子が質問してきました。「僕と○○(姉)、どっちが好き?」「どっちかしか選べなかったら、どっちを選ぶ?」と。

 

息子は、自分の方を選らんで欲しかったのでしょう。でも「両方、世界一好きで選べない」と、答えておきました。続けて「自分を選ばれることで、どうなる?」とも聞いてみましたが、息子はそこから黙って考え始めていました。答えはすぐに出なかったようです。

 

私が息子に答えた解答にも私が息子に聞いた質問にも、正しい答えはありません。子育てをはじめ、社会に存在するほとんどのことに正解などありません。正解が存在することの多くはどうでもいいことばかりだと、私は考えます。

 

答えがないのなら、どこに目指せばいいのか指標が分からないと思うかもしれませんが、暮らしの中で迷ってしまうことの多くは「生きやすい方」「解決に向かう方」「複雑化しない方」を選んでいけば大きな問題には発展しないと思います。

 

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息子はよく愛らしい問いかけをして私を和ませる一方で、今回のような「僕と○○(姉)、どっちが好き?」と、私を困らせるような質問をします。このとき「嬉しい」とか「困る」「悲しい」などの感情は一旦どこかへ置いておき「なぜ、この子はそんなことを聞くのだろう」「その質問を私にすることで、何を得ようとしているのか」とよく考えます。

 

解答する上で気をつけているのは、自分の気持ちを伝えること。過去の例でいえば「僕、学校嫌いなんだよね」「僕、勉強もつまらないんだよね」って息子の言葉に対しても「勉強くらいしときなさい」「子どもは勉強が仕事なの」と、何処かできいたような模範的な回答をいうのではなく「分かるよ」と、私の感情を明言します。

 

息子にとって自分の感情を好きに伝えれる存在でありたいし、そんな親を目指しているからです。また息子にも、親の顔色を伺って「これしていい?」「あれしていい?」と確認する子じゃなくて、自分で決めていいんだと前へ前へと進んで成長していく子に育ってほしい。そんな風に考えています。

 

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我が子の育て方について「誰かにどうすればいいのか」といった子育ての解を求める人がいます。

 

多くの場合、教育に携わる人やカウンセリングなどを通して、我が子のことをよく知らない誰かに質問します、「どうすればいいのでしょうか」と。

 

これは、結構な問題だとおもう。例えば、自分の親が私の育児方針について、誰かの指導のもと育てていたとしたら考えると私はイヤだ。「なぜ、私の生き方を誰かに問うの?」と、ネガティブに捉えてしまう。

 

「きょうだい児の育て方」「発達障害児の育て方」「親のあり方」といった、正解の無いことを他者に問う人の気持ちが、私にはよく分かりません。それを誰かに問うということは、自分の意見に自信がなく、何でもいいから目安となる基準が欲しいためではないでしょうか。私も、子育ては不安ですし手探りの中進めています。だけど、自分が我が子を思う愛情とか、この子達にはとにかく元気に前を向いて生きて欲しいと強く思っている親としての愛情には強い自信があります。

 

だから、目安となる基準を軸に子育てしていたら、その基準と自分の気持ちとの間に歪みが生じたときに苦しくなる。自分や誰かや子どもを責めてしまうことになりかねない。

 

子どもが親に求めていることって、正しい育て方じゃなくて愛情だと思う。上手く育てることはできてないかもしれないけれど、自分が世界一大切にしているこの子達への感情は素直に示したいと強く思います。

 

 

最後に、先日のツイートも載せておきましょう。

 

 

12年一緒に暮らしても自閉症児の事はよく分からない。でも時々、我が子達の事を「よく分かる」という人がいます。また親の中には「育て方の正解」を問う人もいます。正解は誰も知らないはず。 人と人との関りで大切な事は「私はこの人の多くを知らない」と知る事だと思う。そこからがスタートだし。

 

今日は、ここまで!

 

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