【自閉症とひとり親の暮らし|3学期編③】本音はきっと、母子分離なんてイヤだ!

私は自閉症児2人のひとり親。

 

娘は特別支援学校の小学6年生。
息子は特別支援学級の小学4年生。

 

来年度から、施設入所が決まっています。提案したのは医師ですが、決めたのは私です。ずっと一緒にいるのも苦しいのですが、離れるのもイヤなんですよね。「わがままな母親だ」と、自負しています。

 

この感情のモヤモヤを、入所前に書き綴っておこうと思います。

 

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娘は、自閉症という障害特性によりパニックになることが多いです。本人のコントロールできない状況によってパニックとなり、結果として自他ともに心身に大きな傷を背負うこととなってしまいます。(特に心の方に)

 

12歳になった娘の身体は大きくなり、パニックの力も強くなりました。娘に比例して息子も心身ともに成長し、育児も次のステップに突入した感じがあります。それと反比例するように私の体は衰え、体的にも心的にも家族で暮らしていくことが難しくなってきました。

 

そうした背景を考慮してくれた医師から「生きていく力をつけるため」の娘の施設入所を提案され、昨年の夏前に、来年度からの娘の入所を決意。家族3人での暮らしは、残すところ2ヶ月となりました。

 

これまでの家族での状況をまとめておくと、以下のような感じです。

  • 娘は自閉症で、幼い頃からパニックや睡眠障害を伴い本人自身が苦しんでいた
  • 家族(私と息子)も、娘のパニックや睡眠障害で日常生活に強いストレスを感じていた
  • 娘の成長により、パニックの力強さや睡眠障害によって夜中の活動が派手になり、家族(特に息子)に与えるストレスの影響も強まった
  • 娘は落ち着いているときはとても可愛らしいし、基本として家族は仲が良い
  • 医師に「家族で過ごすのが難しい年齢に突入していること」を指摘され、娘の生きていく力をつけるための施設入所を提案される
  • 母として断腸の思いではあったが、常に待ち状況の施設の空きのタイミングによって入所を決断

つまり、娘は13歳にして自立。母と弟は2人暮らしを始める。家族として、新たな人生をスタートさせる転機を迎えることになります。

 

でも、自分に問い続けていることがあります。それは「本当に、こんな暮らしを求めていたの?」ということ。選択肢の狭さに違和感を感じるというか、なんというか…。

 

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子育てのゴールは自立といいますが、自立って何だろう。経済的な自立もあれば精神的な自立もある。障害を抱える人にとっては、周囲に頼りながら生きるという依存を伴う自立があると思う。

 

一般的に、自立するには経験や知識がある程度満たされている状態が必要。人によっては、家族の愛で満たされてこそ自立できる人も要るはず。娘の場合は、その全てがあまりにも未熟な状態での自立。

 

少し、想像してみてほしい。私達3人の「これまでの暮らし」と「これからの暮らし」の両方が、どれだけ切ないものか。

 

娘は、集団生活の中でも家庭での暮らしでも苦しみと不安の連続。頼りたい人に頼る術や気持ちを伝える術も持たず、結果として自分や家族を傷つけ続ける。そうした暮らしを横目に見る息子は、年齢に見合わない理不尽な我慢の量を耐え続けてきました。

 

私自身も、親として苦しむ2人に手を差し伸べたいと思うものの、生き方の違いを上手くつかみ取れず虚しさの連続でした。

 

障害児の親は「選ばれた人」「強い人」といわれるけれど、私にはそうした要素が見つからない。反対に「選ばれた人」「強い人」とならねばと、異常な時間を歯を食いしばり続けている時期もあったし、現在も子ども達のためなら頑張りたいと思う気持ちもあるけれど実際のところ限界もある。正直なところ、怠け者の私が今まで、よくやってきたと思う。

 

声をかけても目を合わせることすらままならない子に、何万回も声をかけ続けてきた。子ども達が何をすれば喜ぶのかが分からず、日々手探りの毎日。そんな中でも、家族3人の心地い均衡点を探し続けてきた。

 

しかし、現実は家族3人の均衡点など見つけられない。私に至っては、健康を維持するための睡眠もままならず、自分自身のバランスさえ取れていない状況。母親の睡眠不足や多忙というのは、家族全体に余裕がなくな悪循環に繋がる。

 

このように、まだ家族の親子でのコミュニケーションの喜びもしらない私たちに「自立」なんて、あり?でも、3人で暮らしていくことが最善策とも思えない。

 

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多くの場合、中学生で子どもの自立を迎える人は特別な才能に恵まれた子ども達です。

 

秀でた才能を与えられたスポーツ万能の子だったり、裕福な家庭に生まれて留学のチャンスを早くに掴んだ子。

 

そうした子達も、ここに至るまでに過酷だったことでしょう。しかし、一方で多くの子達が感じることのない達成感や充実感も得たことでしょう。また、親御さん達も養育に人一倍労力を使ったとは思うけれど、一般的な子育てとは違う充実感も得たはずです。

 

そして、より魅力的な人生に向けて家族全員が進みだす。我が家はどうだろう…今回の早期自立が「より魅力的な人生」を掴む希望は見えていない。でも、外野はいろいろいってくる。「きっとよくなるよ」とか「大丈夫なの?」とか。

 

私だって、わからないんですよ。この選択がいい方に転がるのか、悪い方に転がるのか。ただ今は、歯を食いしばり続けた結果、限界が訪れてしまった。提示された選択肢は「母子分離」または「また、歯を食いしばり続ける人生」の2択。母親として、どちらにも魅力を感じないけど、3人で暮らしていくのは危ないから母子分離を選んだまでです。

 

なんで、障害を抱えた子を産んだだけなのに、ひとつひとつがこんなにも大変なんだろう。

 

私が思うに、答えはシンプルで「障害者は家族で見ることが前提とされた制度」ばかりだから。

 

障害者の問題は、最終的には家族が丸抱え。定型発達者も自力で頑張っているのだから、障害者を産んだとしても「自力でみんなと同じところまで上り詰めておいで」といわれているよう。休んだり、楽しんだり、ゆっくり寝たりすることは、あなた達には贅沢といわれているかのよう。

 

似たようなことが、母親全体にいえる。出産しただけで働くことが難しくなったり、子育て中というだけで責任が重くのしかかったり。

 

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日本には「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。確かに働くことはとても大切で、労働によって自由や豊かさを手に入れることができます。ただ、置かれた状況によって働くことが難しい人もいること忘れられてないかな。

 

充実した人生を送ることは、経済的な自立を遂げた人だけに許され、そうではない人には「支援によって最低限の暮らしで満足すべき」といわれている気がしてなりません。

 

理解したほうがいい。どんな人も障害者の親になる可能性はあるし、どんな人も障害を抱える可能性はある。母親のキャリアブランクも、障害者を産んでしまったライフブランクも、改めて考える時代に突入していると私は考えます。

 

一緒に暮らせないと選択したけど、私は娘のことを世界一愛しているんですよ。

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今日は、ここまで。

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