先日、自閉症児の娘が精神科病院に入院しました。
多くの母親たるもの当然のことと思いますが、私は娘のことが大好きです。
息子が生まれるまでの2年間の、2人きりで過ごした育児時間のことは10年以上たった今でもよく思い出しますし、きっと一生忘れることはないと思います。
その頃の私は今よりも穏やかで、娘が寝付かないことに対してもイライラしない比較的穏やかな人格でした。反対に、瞼(まぶた)が閉じていく娘に「もう寝てしまうんだ」と毎日を惜しんだものです。
断乳を決意し実行したときも「私と娘の繋がりが一つ消えるのか」と、おっぱいを欲しがる娘と一緒に私も泣きました。そのときの記録が残っていますので、気になる方は、以下の記事にも目を通してみてください。
自閉症であっても本人を丸ごと愛し、育児の大変なところも、可愛らしいところも全てを愛おしく思っていた娘ですが、近日一緒に暮らすことが苦しくなってしまいました。そして、彼女は入院しました。
今回は、自閉症児の娘の入院したあとの息子と私のこと、そして入院中の娘のことをお伝えしたいと思います。
入院が決まるまでのキッカケと家族それぞれの思いについては、以下にて詳しく解説しています。
娘が入院してから|「息子のこと」「母のこと」、それと2人暮らしのこと
ひとり親の私は、娘が入院したことで息子と2人暮らしになりました。
息子と2人暮らしになったことで感じた変化を、「息子のこと」「私のこと」「2人暮らしのこと」と分けてお伝えします。
息子のこと
娘がパニックになっても「苦しいね」と言うような大人びた9歳の息子でしたが、近日は人が変わったように娘に暴言ばかりはいていました。
そんな息子も、娘がいなくなったことで急に暴言やメンタルの不安定さはなくなりました。療育的な観点で言うと、自閉症の子の問題は「原因を取り除くこと」が有効とされますが、息子の場合は娘のパニックが原因だったのでしょうか。
親としては、「原因が家族」だったのかと思うと、何とも苦しい気持ちになります。
何度か「〇(姉)ちゃん元気かな」と私から息子へ声をかけてみましたが、「元気だと思うよ」と優しい感じで答えてくれました。
そのようなことを2回だけ聞いて、それ以上を訊くのを辞めました。そして、私は娘の障害のことを息子に話しました。理解しているかどうかは分かりませんが、小さい頃から色んな障害を抱える子の中で育っている息子なら「息子なりの理解」をしてくれると思い、伝えることにしました。
少しだけ驚いているようすも見られましたが、自然に受け止めて「病院で落ち着けるといいね」といっていました。そのときのことは、こちらの記事で詳しく解説しています。
母のこと
私は、娘が居なくなり寂しいですが、絶望するほどではありません。
自閉症の子どもを持つ知人が、我が子の入院を機に毎日泣いて放心状態になっていたのを2人ほど見てきたので、私もそうなるのかなとも思いましたが違いました。当たり前に続く息子の育児や仕事。生活を止めることは出来ず、泣くこともなく当たり前の生活を熟せる自分を冷たいのだろうかとも思うし、逆に責めちゃいそうでした…。
正直なことを言うとよく寝れる日が数日間続き、心の安定を取り戻したせいか、12年間の疲れが一気に出たかのように目眩や胃の痛みで体が動かなくなり点滴を受けほどの体調不良が4日間続きました。
次のような、気持ちが一気に押し寄せましたが、それが普通なのかもしれません。
- 娘がいなくなったことによる、心に大きな穴が空いたような感じ
- 「これで良かったのかな」という気持ち
- 「自分が今向き合うべき課題は何だろう」という気持ち
- 今だから、息抜きしなければと思う気持ち
- 今のうちに息子と2人で出来ることをやっておこう など
多くの気持ちがせめぎ合い、生活や環境の変化についていけないまま自分を責めて1週間が経った気がします。
息子と母の2人暮らしについて
暮らしは、娘がいなくなった初日から大きく変わりました。
- 夜中に叩き起こされることがない(母も弟も)
- 早朝から叩かれることが無い
- 自分のタイミングで起きれる
- 偏食の子のごはんと、偏食じゃない人のご飯を考えずに済む
- お風呂の世話が不要
- 洗濯物も、食器の洗い物も少ない
本当に正直に「楽」と感じてしまいました。
娘が居ない方がいいということではありません、ただただ何かに怯えていない楽な状態なのです。私だって、こうした暮らしを手にいれたかった。しかし、生物学上何をされても、我が子というのは世界一可愛いくて贔屓(ひいき)してしまいたくて、愛してしまうもので…そういうのをまとめて「辛い」「助けて欲しい」「子どもは可愛い」という私が知っている簡単な日本語だけでは表現しきれないのです。
自閉症の母として
娘は約2日間の陣痛を経て、緊急帝王切開で生まれてきました。
私も長時間に渡る陣痛の疲労で、陣痛と陣痛の間は直ぐに寝てしまう状態でした。生まれた直後も眠気で意識が朦朧としていましたが、生まれた娘の顔を見た直後に「手も足も指が五本ありますか」と聞いて、「あるよ」とほほ笑んだ看護師さんの言葉を聞いてすぐに寝落ちました。
そこからずっと、定型発達児を育てているつもりで夢を抱きながら育児をしていました。娘の自閉症診断を受けるまで2年4ヶ月、疑いを持つまでが2年1ヶ月。それまでは、ずっと理想の母親像を描けていたのです。
~そこから10年は本当に慌ただしかったですが、ここでは省略します~
娘が自閉症だと分かり、そこから悲しいことも苦しいこともいっぱいありました。一方で、「思い描いた母親像になれなかったこと」と引き替えに、娘が自閉症だったから繋がることが出来た人もいます。娘が自閉症でなかったら、知ることもなかった生き方について考えるキッカケにもなりました。
私はよく、この表現を使います。「次生まれ変わっても、自閉症ではない誰かより、自閉症でも定型発達でもいいから、また私の娘と息子と家族になりたい」と。
でも、正直なことを言うと、もう自閉症育児は充分です。充分なほどに体験しました。そして、私のようなキャパシティの人間では受け止めきれないことも分かりました。だから、自閉症ではない我が子を知りたい。今すぐ知りたい。
とくに、言葉でのコミュニケーションが取り辛い娘に至っては、死ぬまで一度も「娘に求められている」「娘の役に立っている」という実感を持てないのなら、私が母親になった意味はどこにあるのでしょうか。
人生に一度でもいい。
「大好きだよ、愛しているよ」と伝えたら「わたしもだよ」と帰ってくる娘の言葉を聞きたいのです。オウム返しでも、反応的な言葉でもなく、心の中からの彼女の全身全霊の言葉や気持ちを一度でいいから聞いてみたい。
その、たった一言が果てしなく遠い夢だということを知りながら、それでも我が子の幸せを願う。これが、自閉症の親になっていくということなのです。
今日は、ここまで。
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