私は自閉症児2人のひとり親をしています。
娘は特別支援学校の小学6年生、息子は特別支援学級の小学4年生。来春、娘は中学校1年生になると同時に、遠くの町の宿舎で暮らし転校もします。
医師の「お母さんだけでは育てることが難しくなってきています」という、母子分離の提案。始めは受け入れることができませんでしたが、「支援者の中で生きる力をつける」という正論が頭から離れず提案を受け入れ、現在は転校・引っ越しの準備中です。
残り半年の家族3人暮らしだから、仲良く暮らそうと思っていた矢先(夏休み中)にまた入院させることとなってしまいました。
9月2日に退院し、翌日からみんなより2日遅い新学期を迎えることとなりました。元気に登校する姿をみて、本当にこの子には「ありがとう」と、感謝しかないなと思いました。
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今更ですが、少し娘のことを紹介します。
娘は「自閉症」です。「自閉症」といっても、人それぞれに支援の必要性も困り感も大きく違います。娘は、肌も目も心も耳も舌も、ありとあらゆるところがとても敏感で、そのことから生きる不安を数多く抱える女の子。
外部の刺激の多さや、ありとあらゆる敏感さから、4歳になるまでは手も繋がせてもらえませんでした。
何度呼び掛けても振り返ることもなく、1往復半以上の会話も未だにしたことがありません。噛みつかれることもあれば、自分自身を傷つけることもあります。フラッシュバックも多く、夜中に大暴れになることもあります。
振り返ってみると「私は、あなたにとって必要ですか?」と、幾度と自問自答を繰り返す育児だったように思います。
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今日の本題はここから。
2021年9月2日、予定通り退院する娘を病院に迎えに行きました。
そのときです。私を見つけた娘が「ママ」といって走って向かってきてくれた。
そんなことは初めてだったし、その行動と言葉が娘の本音だと思っていいでしょうか。娘を育てる中で一番嬉しい出来事でした。
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4歳からお薬もずっと飲み続けてきた娘。退院後に変更となった薬があっているのか、比較的落ち着いていて、やっと「娘らしさ」を、少しだけ知ることができたように思います。医療については詳しくないので、表現に語弊があるかもしれませんが「薬が彼女の必要な個所に充分に生き渡り、不安が減っている」というように感じます。
甘えるのが好きで、優しくて、ちょっとヒョウキンなところもあるのね、と感じています。だから、退院の日に「ママ」と駆け寄ってきてくれたことも、娘の本心だと信じたい。
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本当に、あと半年で娘は宿舎へ入所。早すぎる予定外の自立です。まだ一緒に語り合ったことも、同じものを見て笑ったこともないのに。
もっと、求められて見たかったな。もっと、一緒にいたかったな。
しかし、もう私ひとりでは彼女のパニックを押さえることができません。だから、これからのことを考え「彼女の生きる力」と「家族としての時間」を天秤にかけてみましたが、結局どちらが大事かという結論は出せませんでした。むしろ、両方がとても大切なことで、天秤で測るべきものではないと感じました。
そして、私が出した答えは「娘と私の、互いの自立」。自立といっても、心が離れるわけではありません。5年後、10年後、20年後も「家族に生まれることができて良かったな」と思うためには、互いが自立し生きる力を養うことは必須だと感じました。
この考えに対しては、さまざまな意見があるはずです。実際に、優しい言葉も批判も両方いただきました。両方が正論であり、両方が間違い。だって育児や生き方の正解など、ずっと先にならねば分からないことだから。
前回の記事にも書きましたが、娘を育てる中で「離れることも愛情のひとつ」だと考えるようになった私。ひとり親の元で、一生懸命に毎日を生きてくれている我が家の可愛い2人の自閉っ子たち。
これからも、我が子たちを知っている人が増え気にかけてくれる人が増えるといいなと、心から思っています。そして、お母さんがいなくなっても2人仲良く思い合って生きていくんだよと願っています。
見かけたら声をかけてやってください。
日本中、世界中に二人のことを気に書ける人が増えたら、私も安心して老いていくことができます。今はその準備。
退院おめでとう。
おかえりなさい。
家が一番だなと思ってくれていたら嬉しいです。
2学期スタート!
今日はここまで!