【自閉症の娘と母子分離⑦】ママからおばあちゃんの気持ちになった日

私は自閉症児2人のひとり親をしています。

 

娘は特別支援学校の小学6年生、息子は特別支援学級の小学4年生。

 

春先から娘の精神状態が悪くなったことをキッカケに家族全体が崩壊し始めました。結果として娘は、精神科病院へ入院し現在は「生きる力」を付けるために母子分離(要は宿舎入所)の提案を受け、悩んだ末に私も「提案の受け入れ」を決めました。

 

宿舎や転校先の見学に行ったりもしたけれど決心がつかない日々が続く中、母子分離のキッカケとなった話はこちらからどうぞ。

 

母親という名の責任が詰め込まれた、目に見えない大きなリュックサックを下ろした気持ちです。目に見いえないリュックを下ろした私は、娘の前ではおばあちゃんのような気持ちになり始めました。

 

何がそうさせたのでしょう。書き綴っておきたいと思います。いつかの誰かのお役に立てたら幸いです。

欲しがるものを手に入れるために

私の子ども達は、多くの放課後デイサービスや地域支援者にサポートされながら暮らしています。

 

ひとり親である私は、そのお陰で働けているわけで、頭も上がりません。とはいえ、支援の足並みは揃えたい。

 

随分前の話ですが、放課後デイサービスで「今日は、パニックを落ち着けるためにおやつをあげました」と話されたのを聞いて、驚きモヤモヤとしましたが、一旦その気持ちを家に持ち帰りました。

 

私は、パニックになった娘の要望には応えないように努めてきました。

 

暴れること、泣きじゃくること、他害や自傷行為によって欲望を満たすなんて、いいことだと思えない。応用が利きにくい自閉傾向の強い娘だからこそ「暴れたら要望が通る」などといった行動を身に付けて欲しくないと思っています。

 

自宅に帰って数日考えた結果、そのことを放課後デイサービスに伝えました。時間をあけて他事業所にも「私にはそうした思いがある」と伝えました。

そんな強い意志を持っていた私が、甘い祖母気分になっていきました。

自閉症児は修正が効かないから大変

気持ちは分かります。

 

自閉症のパニックは対応するのが大変。その場を治めるために、おやつで落ち着けば簡単でしょう。

 

ケースは違いますが、私も子ども達との暮らしの中で、おやつを活用することはあります。買い物に出かけたときには、子ども達に「ひとつずつおやつを選んでおいで」と言って、我が子達の苦手な人混みや聴覚過敏から、公共の場のストレス緩和をはかる場合もあります。

 

歯医者に入ることすら出来なかった娘に、スケジュールを事細かに絵で書いて伝えたときのこと。頑張れたときには、一般的には「誉め言葉」でしょうが、言葉での理解が難しい娘には、「誉め言葉」となる部分を「おやつ」としてスケジュールに組み込んだケースもあります。

 

ですが、問題行動をおやつで治めることはありません。問題行動によって欲望を満たすことは、彼女の今後の人生において大きなマイナスになると考えます。

 

パニック時には、対処法を覚えさせるチャンスと捉え「いち早く落ち着くにはどうすればいいのか」を考えることが大切ではないでしょうか。もちろん根気が必要で、けして簡単ではありませんけれど…。

 

パニックになることで要望が通ると思って大人になるよりは、パニック時の(もしくはその一歩手前の)対処方法を覚えて大人になる方が、長い人生を遥かに生きやすくしてくれるのではないでしょう。

自閉症でなくても似たようなケースがある

障害を抱えていなくても、似たようなケースのまま大人になってしまう人も見かけます。

 

必要以上に人の気を引こうとし大げさに落ち込んだり、わざとに過激な発言をしたりして周囲に迷惑をかける人がいます。作戦的にしている人もいれば、時間をかけて習慣付いている人もいます。

 

大人になればなるほど修正が効かなくなるために、なるべく幼いうち・若いうちから正したいですよね。

残り8か月しか一緒に暮らさない母親として

そんな風に思っていた私ですが、母子分離を決めたことで「娘の生き方を熱心に考える母親」から一気に「おばあちゃん」のような気持ちになりました。

 

キッカケは、とある日の晩御飯。

 

先日、放課後デイサービスにお迎えに行った帰りの車内で、夜ご飯の確認が延々と始まりました。本人の好きな「唐揚げ」だったのですが、「ラーメン」と主張が始まり後にパニックになりました。

 

今後の娘のためにも「ラーメン」への対応はしないと思った矢先…「ラーメンでもいいかな」と思えて来たのです。

 

あと8か月しか一緒に暮らすことが出来ない娘にとって、正しい母親でいるよりも「おばあちゃん」のように、ただただ愛する人に徹したいと感じました。娘にも、これから家族と遠く離れて暮らす中で「ママに愛されていた」と、多くのシーンで思い出して欲しい。(特にツライとき)

 

だから「ラーメン食べよう」と伝えました。「これから、苦労するかもしれないけど、そのときはママのせいにしていいからね」とも伝えました。言葉での理解が苦手な彼女には伝わってないかもしれません。自己満足だったとおもいます。そのとき、私はポロポロ泣いていました。

 

娘も未熟なところは多いけれど、私もまた未熟です。

 

でも、自分自身と40年以上向き合ってきて知った、私の強みがあります。(手前みそですが)私は「正直」です。表裏一体で嘘のない性格だと思います。さらに言えば、素直さもあると思う。

 

そんな私に育てられた子ども達も「正直」で「素直」です。正直者はバカを見る事もあるけれど、素直さもあれば人として必ず成長していける。

 

家庭の中で立派でなくても、多くのプロの支援者と関りながら成長していけばいいんじゃないかなと急に思うようになりました。

 

一緒に暮らす時間は残り8か月しかないけれど、娘には「私は、ママに愛されていた」と思って欲しい。たとえ、私の方針が教育上ヘンだとしても、親としてイマイチだったとしても、愛情だけは注いであげたい。まるで「おばあちゃん」のように…と思うようになりました。

「正しさ」と「優しさ」を天秤にかける

漫画家・作家の小池一夫さんがおっしゃっていました。

 

「正しさ」と「やさしさ」を天秤にかければ、僕は優しさを優先したい。

正しさは、やさしさのあとについてくるものなんじゃないかなあ。

引用:小池一夫「自分のせいだと思わない」より

 

 

小池一夫さんの仰る「正しさ」と「やさしさ」の定義は、よくわかるし身に染みます。でも、親としての責任を問われたときに、その天秤が不安定になるんです。

 

「母親」と「支援者」との大きな違いは、給与だと思う。母親は、給与を貰って働いているわけではない。給与を貰って働くということは「人の役に立つ」ことと「経済効果」が求められます。

 

育児は、「人の役」には立っていますが、「経済効果」がないために、給与が発生ません。そのためか、母親って何をすべき人なのか、何者になればいいのかいつも迷宮入りする。

 

でもね、最近思うのは「子どもたちの成長を待ってあげる人」となりたいと思うんですよ。私自身も、ノロマでダメな私を待ってくれている人がいる、そう感じるだけで前を向くことが出来ることが多いから。

 

今日はここまで。

 

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