【特本コラム#1】「発達障害でごめんなさい」?!

公共の場で発達障害の子を連れて歩く苦労を、私は痛いほど分かっているつもりです。

 

自閉症児2人と約12年間生活する中では、公共の場で理不尽に怒られたこともあったし、助けて貰った事もありました。「育児は思い通りに行かないもの」とは聞いてはいましたが、一般的な子育て以上にその経験を身をもって体験しているのではないかと感じます。

 

そんな経験全てが、今の私を作ってくれています。

 

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我が子も大きくなってきたために、公共の場へ一人で出かける時間も増えました。

実は、私はかなりの珈琲愛飲家。
コダワリもあり、決まったコーヒー豆を飲み続けています(安いものですが)。

 

そのコーヒーショップでは、珈琲豆を挽いて貰っている間に無料でコーヒーを提供して貰えます。節約が必要なひとり親の我が家にとっては、外で一人でコーヒーを飲むなんて、この上ない至福の時間。

 

先日のその至福の時間に、隣の席に次の構成の親子がいた。

若い母親
アイスクリームを食べる5歳くらいの男の子
ベビーカーで眠る赤ちゃん

 

男の子はアイスを一口食べる度に「食べてる!」と大きい声で叫ぶ。勝手な予想だけれど、大きい声で気持ちを叫んでしまうその子は、発達に問題を抱えた子のように感じました。

 

多くの客が、その親子へと視線を送る。中には気にも留めない人もいるけれど、目の上のたんこぶを見るような目線を送る人もいた。私も、その子の声のボリュームにビックリしたために視線を送ってしまった。

 

タイミング悪く母親と目が合ってしまい申し訳なさそうに「すいません」と謝られた。謝る必要なんてないのに。

 

ドレスコードのあるレストランでもないし、映画館でもない、大衆が集まる場の多くの人のためのコーヒーショップ。子どもが大きな声を発することくらいで、周囲に申し訳なさそうに謝る必要なんてないの。だって、子どもだから。発達に問題を抱えているのなら尚更謝る必要がない。

 

「そんなことない」「それが躾だ」という反論もあるかもしれないが、多くの母親たちの発する謝罪は質が違う。「私のせいで」「私の責任で」と罪を多く背負った「すいません」に聞こえる。「おっと、失礼!」といったカジュアルな謝罪とは訳が違う。そこが問題だと思う。

 

育児をしたことある方なら分かるかもしれませんが、公共の場であろうと自宅だろうと、子どもを親の力で制御するなんて不可能に近いのです。子どもに大人と同じようにモラルを理解させ、思い通りにコントロールし、公共の場でスムーズに過ごすなんて出来ないことの方が普通です。

 

身一つの大人は自分の行動を選べます。にぎやかな場所に行きたければ自分で出向けばいい。静かな場所で勉強したければ、カフェは適していない。でも、母親というのは子どもを育児している限り自分の行動を選ぶことなんて、ほとんど場合出来ない。

 

だから、あのときのお母さんの気持ちが私にはよく分かる。

 

朝から晩までバタバタ動き回る毎日。自分の時間なんて細切れ。買い物も一苦労で、本当は自宅に帰ったときに2人の子ども達が一緒にお昼寝てくれることを少し期待してたけど上手くいかなかった。

 

下の子がベビーカーで寝ている間に、上の子にアイスクリームを与えて自分も椅子に座りたい…。自宅に帰ったらまた下の子が目を覚まし、また息つく暇もないはずだから。

 

こんなところだと思います。
育児を経験したことある人なら、リアルに想像できることでしょう。

 

そんな、せめもの休憩時間に申し訳ない気持ちたっぷり含んだ「すいません」を、こちらにむけられると胸が締め付けられた。

 

だって、あなたは何も悪いことしていないのに。

 

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母親たちの理由のない謝罪をよく見かける。
実のところ、私自身も「謝る」という癖がついている。

 

 

昭和の時代と違い少子化で子どもが減った現代では、公共の場で子どもの絶対数が少ないから理解どころか寛容さも少ないと思う。その中でも特に息苦しいのが、発達障害児も公共の場で他の子どもと同じような行動を求められること。出来なければ、「躾(しつけ)」や「わがまま」と当事者一家に問題があると言われるかのようにまとめられる。障害は社会側の問題なのに。

 

そんなだから「公共の場に出ること」を躊躇し始める
人の少ない場や時間を見定めて出かけるようになる

 

こんな家族が増える社会でいいの?

 

子どもに障害があってもなくても、母親というのは謝ることが増えがちです。反対を言えば、子どもを持たない人がこんなにも謝りながら歩き暮す姿をみたことがない。

 

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以前、息子の言葉にハッとしました。

「なんで、ママは何も悪いことをしていないのに謝るの?」
「なんか、悪いことしちゃったの?」

ときには、よその見知らぬ母親の謝罪に対して「何も悪くないですよ」と伝えた息子をカッコよくも感じました。

 

人によっては経年変化にて「謝りぐせ」が付く人もいます。営業職やサービス業といった、職業習慣によってお礼や謝罪が習慣化される人も見かけます。

 

でも、母親たちが発する謝罪は質が違う。
申し訳ない気持ちが存分に含まれている。

 

その中でも特に、発達障害を抱える子の親が抱えている「公共の場にいる申し訳なさ」に対する謝罪は、この世から消し去りたいくらいだと私は考えている。だって、周囲の理解が足らないだけなんだから。

 

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日本は少子化を抑制するため「少子化社会対策基本法」も打ち出されています。子どもが増えなければ日本の税収は減り続けるし、政府だって必死。

 

だから「子は宝」と考えられていますし、制度もいっぱい作られている。でもね、生まれる前の命へ対する少子化対策だけじゃなくて、生まれた後の命に対する対策や制度がもっと増えるといいな。

 

いや、違う。本当は制度なんて増えなくても、子連れの親子を暖かい目で見守り、困っていたらサポートの手を差し出せる社会であってほしい。

 

子育ては大変だし、親の思い通りにはいかない。買い物や公共の場でに出かけるといった、多くの人にとって簡単な行動が、育児中は多くの体力や精神力を消耗しながらの行動に変わる。そうしたことが、社会全体に周知されて一人ひとりが寛大になる必要があるよねって思う。でも、風習を変化させるって簡単じゃないし、きっと数十年先なのかな。

 

母親達の罪を背負ったかのような謝罪は、育児の終わりと共に消えるのでしょうか。

 

どうでしょうか。
あなたの周りのお母さんは、申し訳なさそうに謝っていませんか。

 

何も悪いことをしていないのに。

 

今日は、ここまで。

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