【特本コラム#6】チャレンジの定義が人によって大きく違うことについて

「チャレンジ」の定義って人によって大きく違うと感じています。

 

約20年前に、母親が私に求めていたことは大企業に就職し「安定」を手に入れることでした。大企業への就職活動と内定は、母親には「チャレンジと成功」とみなされていたようです。「よかったね、がんばったね」と、口にしていた母が一番嬉しそうでした。

 

私にとっては、その一環の流れを「チャレンジ」と捉えることは無理でした。大企業への内定が、私にとって20代を過ごしていく上でのゴールだとは思っていなかったからです。

 

案の定、私は「大企業」に入ったとたん、ここが自分の働きたい場所ではないと確信しました。数メートル先の上司や社員の方々を見て、数年先・数十年先の自分の未来が見えた気がしました。多くの人は高級車に乗り、安定した貯蓄額を有し、夜は大衆酒場ではなく高級感あふれる場へ飲みに行く。同級生が入社した職場の話と比較するとかなり豊かな状況なのがすぐに分かりましたが、私はその場にいる自分を誇らしいとは思えなかった。

 

当時、大企業で働くことは多くの労働者が志望する働き方のひとつで、そのラッキーチケットを手に入れた私ですが、数十年先まで想像できてしまう人生なんて「私には耐えられない」と感じる人間であることを、社会人になって初めて知りました。

 

これは、変化を好むかどうかの感覚の違いだと思います。ときに生きる世代の違いの場合もあります。定年まで想定出来る労働者人生が多くの人にマッチしている時代もあったはずです。

 

現代でも、その時代の影響を引き継ぎ、大企業で定年まで働き続けたい人の中には「少しくらい不満があっても安定した仕事があるから、日常に充実感を感じる」人もいるはずです。

 

一方私は、社会に出たことで「変化していく人生を好む人間なのだ」と、自分の人格に気付くことができました。しかし当時は不況の真っただ中、狭き門を潜り抜けたご利益を活用しない手はないと考えます(コラ)。手厚い福利厚生と周囲の同級生より多めの賞与や給与を存分に活用しようと決めました。

 

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当時、インターネットは一部の人にしか浸透しておらず、女性がマイパソコンを所有することも少ない時代でしたが、私の最初のボーナスはパソコンにかわりました。その後もパソコン教室へ通い、英会話学校へも通いました。休暇や有休を組み合わせ、チケットだけ購入して海外へも行きました(親には心配させないよう、パックツアーだと嘘をつき一人で旅立ちました)

 

一番最初は、事前にインターネットで現地のホームステイ募集サイトを活用し、実際の利用者の評価の高かった家庭でホームステイを予約しておきました。※私はたまたまラッキーでしたが、リスクもあったと思うし何にでも手を出すことを良いと思わないようにされて下さい。

 

また、チケットだけ買ってアジア各国をタクシーと電車で歩いてみたりもしました。危険な場所などは、現地に滞在している日本人と事前にインターネット情報交換サイトでコンタクトを取り調べました。現地で、連絡を取り合った日本人みんなで食事なども楽しみました。

 

当時、友人達は「凄い挑戦」「チャレンジャーだね」と言っていましたが、これも私にとっては経験作りの一環でチャレンジとは思えませんでした。行動手段は飛行機、ゴール地点は明確、お金を払えば誰でも叶うことです。チャレンジとは、先の見えないことに自分の判断と責任で取り組んでいくことを言うと、若くして理解していたように思います。

 

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SNSが普及していない時代にパソコンに触れることも、海外を一人で歩いてみることも、自分自身の変化と経験は存分に積めました。違う文化や生き方に触れ、自分自身の価値観がどんどん変化する快感を覚えると、変わるということ楽しくてたまらなくなります。若かった私には、変化を恐れ私の行動を止める人たちの気持ちが理解出来ず、距離をとるようにもなりました。

 

そうした20代を過ごしていなければ、変化や新しい経験に対して怖気づく側の人間の気持ちが理解できる人へと経年変化を遂げていたと思います。

 

どちらにも良し悪しはなく、どちらも一つの生き方です。

 

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その後、結婚・妊娠・出産を2回し、そこで初めて「チャレンジ」という、先が見えないことに取り組みだしたように思います。

 

私が思う「チャレンジ」とは、行動手段も複数あり、どれを選ぶのが正解なのかも分からない中、自分で決定していき全責任を背負って進んでいくことだと考えます。思い描いているゴールが手に入るかどうかも分からない中で、振出し以前に戻ってしまうかもしれない、全てを失うかもしれない。それでも進んでいくことを「チャレンジ」だと思っています。

 

人生最大の「チャレンジ」は、離婚でした。自閉症児2人を連れて家を出ること・離婚調停に進むことは私のキャパシティでは踏み切るのにかなりの時間を要しました。当時抱えていた不安を簡単に表現することは出来ず、決断までに「まだ見ぬ弱い自分」を存分に思い知るキッカケにもなりました。

 

人間は本当に脆く、手探りで進む「チャレンジ」とは、心身のバランスをとることすら難しくなる。ときの崩壊することだってあるでしょう。それを理解した上で、チャレンジしたときに人は強くなるのではないでしょうか。

 

ときどき、「頑張れば何でも乗り越えられる」という人がいますが、そういう人は「乗り越えられる程度」のことしかチャレンジしてない人生と言い換えることが出来ます。

 

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おまけ:現在のこと

 

結果、私は現在なんとか母子3人で暮らせているために、今こうしてブログに記すことが出来ていますし、あの頃の私より今の私は比べ物にならないほど幸せです。

 

離婚は、未だに失敗と言われることが多く「バツ」と呼ばれたりします。その論争に加わりたいとは思いませんが、仮に離婚が失敗だったとしても、失敗していいんですよ。むしろ、1回の結婚で最愛のパートナーを手に入れるなんて本当にラッキーじゃないと出来ない。

 

離婚に限りませんが、失敗によって大きな学びを経験することは大きな意味があります。チャレンジの真の意味を知り、失敗から得れるものの多さを知ると、失敗することが怖くなくなります。現在の私は「諦めない限り人生に失敗はない」と、確信しています。

 

だから、このブログを読みながら、何かに迷っている人、何かに躊躇している人がいたら、どんどんチャレンジして、失敗から得れるものの多さを知って欲しい。

 

「失敗も多いが、得れるものと変化も多い人生」と「失敗や傷つくことは少ないが、変化の少ない人生」…。どちらも一つの人生ですが、後者は年齢を重ねるごとに、変わることを恐れるようになるという最大のデメリットがあると思っています。

 

みなさんは、どちらの人生を送りたいですか。
また、我が子には自分の思い描いた人生を送って欲しいですか。

 

私は、チャレンジ推奨派です。なるべく早くから「チャレンジ」の本当の意味と「変わりゆく自分の変化」そして、普通に生きていては得ることが出来ない「経験」を知って欲しいと考えます。

 

 

今日はここまで。

 

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