【自閉症の娘と母子分離②】親として伝えることがあるのならば「一日一生」

我が家はひとり親の私と
小学校6年生の特別支援学校に通う女の子と
小学校4年生の特別支援学級に通う男の子

 

お母さんと自閉症児2人の、3人暮らしです。

 

現在は6月です。
3月末頃より、娘は不安感が強まり自傷他害行為やパニックが増えました。それにより、私たち家族はそれぞれが悲しみや苦しみを抱えることとなりました。その結果、娘は入院し退院。

 

現在は、母子分離を提案されています。
母子分離の理由は「娘の生きる力をつける」ため。

 

母子分離することになった場合、近くに空いている宿舎がないため、自宅から車で2時間の遠くに住むこととなり、親としてはさまざまな葛藤が押し寄せます。

 

「大変と思いながら、家族として一緒に暮らすのか」
「生きる力をつけるために、彼女の自立の道を親である私が決めるのか」

 

最近は時間があれば、そのことばかりを考えています。考えないように、がむしゃらに仕事をしたり、反対に真剣に考えようと時間を作って考えたりの繰り返し。

 

今回は、「母子分離」を考える今の私だからこそお伝え出来ることがあるのではないかと、過去を振り返りつつ私が大切にしている時間「一日一生」について書き綴ります。

 

母子分離シリーズ①はこちら

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誰かの生きることが出来なかった今日を「一日一生」と思うようになったキッカケ

娘は2009年の夏生まれで、息子は2011年の秋生まれです。

 

娘が2歳を迎えてすぐ、息子が誕生しました。2歳差です。

 

2012年3月11日PM14時46分に東日本大震災が起こりました。息子は生後5か月、娘は2歳と6ヶ月。信じられない衝撃的な映像に胸が苦しくなりました。

 

上空からは報道が出来るし、日本中の人がその光景を視聴できるのに、誰も助けることが出来ない。誰のせいでもないその光景は、人間の力ではどうしようもなくテレビの前で言葉を失うしかありません。申し訳なくも我が家のことと照らし合わせて考え、人生はいつ終わるのか分からないということを改めて理解します。

 

2012年3月11日に生まれるはずだった子達や命を落とした生まれたばかりの子ども達は、息子と同級生にあたる(平成23年、24年生まれ)となる子ども達だったわけですよね。

 

亡くなられた多くの方のご冥福やそのご家族へは言葉にすることも出来ないものがありますが、私は、生きていること育てて行けることに感謝し毎日を大切にしようと、あのとき強く強く思いました。

子ども達が幼稚園時代「思い入れの強い1年のこと」

震災から2か月後に娘の自閉症診断を受け、その1年後に息子の発達の遅れに気付き、後に自閉症診断。気が付けば2人とも自閉症児と診断され、幼稚園児となっていました。

 

当時、地方では珍しく「インクルーシブ教育」を実践的に導入した、幼保一体型の幼保園へ我が子達は通いました。遠い記憶ですが、(おそらく)以下のようなクラス分けだったと思います。

クラス 預かり人数と担当職員
3歳児(年少児) ・25人の定型発達児と5名の支援児童
・担任1名・副担任1名・加配職員5名
4歳児(年中児) ・30人の定型発達児と5名の支援児童
・担任1名・加配職員5名
5歳児(年長児) ・35人の定型発達児と5名の支援児童
・担任1名・加配職員5名

 

2015年4月には、娘は幼稚園の年長児となり息子は年少児として同じ園へ入園。私は、この1年を自分の中で強く意識して毎日を過ごしていました。

 

今後、娘と息子が別々の小学校に通う可能性もあるし、2人が同時に定型発達児の中で過ごすことも多くの支援と環境とタイミングが整わなければ叶わない。これが、私の育児人生最後の、2人が大勢の中で過ごす姿を見ることが出来るラストチャンスなのかもしれない。その光景を、一生の思い出にしていきたいという私の強い意志がありました。

 

完全に私のエゴです。しかし、もう戻ることが出来ないかもしれない定型発達の子達との暮らし。その中で2人が同時に過ごす時間を私の育児人生の思い出にしたい。その思い出を糧にこれからは頑張っていこうという思いがありました。

 

だから、運動会に出れないから「休んでもいい」と言われたときも私は口うるさい母親の如く交渉しました。「ピストルを辞めてくれれば…」「娘に分かるようにスケジュールを作って貰いたい」、療育機関に詳しくを聞いてほしいと掛け合ったり…。

 

「発表会も無理して出られなくても」と言われたときも、「暗幕で部屋を暗くするのを辞めてください」「スケジュールを…」と、本当にうるさい母親となっていたと思います。

 

「無理して参加しなくても」という声もありましたが、それも重々承知の上での私の働きかけです。

 

そんな、うるさい母親となった私を年長児の担任として忙しいなかで受け止めてくださった、H先生のことは私は一生忘れることはないでしょう。「支援さえあれば参加できる」と、療育機関・園へうるさいほどに掛け合い、卒園式に娘が入場出来たときにはハンカチで目を押さえないと溢れることを押さえられないほど涙が出ました。

 

他人からしてみれば「強情な母親」に見えていたかもしれません。そこにこだわることで、後の障害児育児もきっと頑張れると信じていました。他人にどう思われようと「この1年に、何よりこだわりたい」と信じていた私はあの頃の感性は、自閉症児の感じるこだわりと似ていたのかもしれません。「他の人と、大切にしたいモノの優先順位とか思い入れが少し違う」という観点において…。

 

その翌月より、娘は特別支援学校へ通い始めました。その2年後、息子は地域の学校の特別支援学級へ通うことになり、定型発達児と関わる社会のなかで2人が並ぶ姿をみることは、ほとんどなくなりました。

小学生になり「特別支援」に慣れる日々

私の支援の理想は、障害者でも「そこに居るのが当たり前」になる社会です。障害を抱えている子に対し「参加出来るならおいで」という気持ちは優しさに見えて、そうではないと感じています。「どのような境遇の子も、そこに居るのが当たり前」であって欲しいし、それに見合った支援やサポートが用意されていることが多くの人に常識として根付いていいて欲しい。でも、今の日本ではとても難しい。

 

誰かが意地悪しているからそうなっているのではなくて、人手不足だし、制度不足だし、長年の風習がこれまた厄介。

 

人手不足や制度不足は外的要因だけれど、風習は個々人の考え方の問題で「人の考え方を動かす」というのは、大きな集団での力がなければ不可能に近い。だから、経年と共に「特別支援」という隔離された場で過ごす方に慣れ、そうした場ばかりに居座るようになりました。

 

同じ環境・同じ境遇の人たちの中にいることに慣れると、思考が固まりまります(それはある意味怖いこと)。私も周囲と同じように支援の力を借りながら「大変、大変」といいながら、いつまでも一緒に過ごせる…いつまでもと言うと語弊があるけれどせめて18歳までは一緒に過ごして「17歳頃から自立について考えるのかな」などと、自分でも意図せず自然と考えるようになっていました。

 

東日本大震災のときに感じた当たり前の日常の尊さや幼稚園の頃に感じた1年または1日を一生にするような思いは、自然と忘れてしまっていたように思います。

 

でも、忘れてはならないんですよね。
やっぱり人生は何があるか分からない。
現在11歳と10ヶ月。
娘の自立選択・母子分離を考えるときが急にやってきました。

限りある時間を大切に「一日一生」

我が家は数えきれないほどの福祉業界で働く人たちにお世話になっている。血も繋がっていない、自傷行為も他害行為もある我が子の対応をしてくれる皆さんには感謝しかない。

 

その一方「娘が入院になる手前」で、もっと我が家のSOSに気付き対応できるリーダーや仕組み・制度が必要だと思った。

 

その両方を体験して初めて、苦しみと現状を打ち明けたときに即座に動いて下さった主治医と、受け入れ病院の担当医の精神に携わる医者は凄い人だと理解した。

 

状況をすぐに判断し、どう動けばいいのか判断できるリーダーがまだまだ少ない。それが分かっているのだから、多くの人が事前に、制度が整っていない部分の緊急時にはどうすればいいのかを考えておくことがとても大切なのだと、私は考えます。

 

現在、2021年の6月半ば、娘は小学校6年生の1学期中旬。

 

8月の自分の誕生日と9月の弟の誕生日。そして、クリスマスが気になるのか楽しみなのか…

「〇(自分)の誕生日」
「●(弟)君の誕生日(9月)」
「サンタさんは?」

果敢に繰り返し聞く娘。

 

6年間ずっと共にしてきた同じクラスのメンバーと、日帰りだけど修学旅行に行くことを経験してほしい。自宅で果敢に友達の名前を繰り返す娘にとって、6年間一緒に過ごしてきたクラスメイトは大きな存在なのだと思う。

 

今のタイミングで転校の案が出る中、母のエゴで先延ばしにしたい。でも先延ばしにすればするほど、きっともっと多くのエゴが出てくる。それくらい理解はしています。理解はしていても親だとしても、他人の生き方を一方的に決めるとはとても難しいことなのです。

 

私が今回お伝えしたいのは「母の悲しみや辛さ」「自閉症児育児の大変さ」ではありません。

 

育児の大きな変化を迎える今のタイミングだから書き残しておきたかった。時間は途轍もなく大切だということを。

 

自然災害のように人生はいつ何があるか分からないし、想像もしない生き方や暮らし方を強いられるときもあるということ。

 

人は今より優位な何かを求めて生きがちですが、「一緒にいたい人の顔が毎日見れる」それ以上に幸せなことはないかもしれません。

 

今日は、ここまで。

▼【自閉症の娘と母子分離】シリーズ①はこちら▼

【自閉症の娘と母子分離①】他人の人生を決めていくという選択について

 

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