【自閉症児の育児|孤独と周囲の目】それよりも母として大切なこと

こんにちは、さおりと申します。

私は、この子たちのひとり親をしています。

👧2009年生まれの特別支援学校に通う、自閉症の女の子
👦2011年生まれの特別支援学級に通う、自閉症の男の子

先日、「子ども達に障がいがあることで、周囲の目が気になったことはありますか?」って、久々に形式的な質問を受けたので、そのときに思ったことがあるんですよ。

 

…そうですね、以前はあったのかもしれませんが、今の私は周囲の目を気にしながら生きるほどの余裕はなくなってしまいました。

 

自閉症の子を公共の場に連れ出すと、睨まれたり、舌打ちされたり、面と向かって注意を受けたりとダメな母に認定された気持ちになることがあります。

 

この子達はわざとやっているんじゃないし、私も放置しているわけではないのだけれど「自閉症パワー」は、親の力だけではどうにもならないのですよ。

 

私には、理想のお母さん像があったのになあ。今の私の姿を20代の頃の私に見せたらまちがいなく驚くことでしょう。「障がいのある子の育児をしているの?」と。

 

今回は、障がいのある子を育てているコンプレックスについてお伝えしていきたいと思います。

【自閉症児の育児】孤独だった、障害児育児

 

自閉症児を育てるうえで、子ども達が幼い頃は特に孤独を感じていました。そして寂しく虚しい日々でした。

 

我が子と同時期に生まれた子どもをもつママ達と、地域の支援センターで仲良くなりました。いわゆるママ友というやつです。よその子ども達を見るのは可愛かったですし、その子達が我が子に絡もうとしてくれると心から嬉しいと思っていました。

 

でも、その一方で人生で感じたことがないほどの「孤独」や「寂しさ・虚しさ」も感じていたんですよ。

 

周りの同期ママの子ども達は言葉が出始めたり、イヤイヤ期がはじまったりと悩みも喜びも共感しながら話に花が咲いている。私の娘は言葉もでないし、イヤイヤ期も始まらない…「主張」というものを私にしてこなかったんですよね。

 

段々と不安になってくる私に「子供の成長はそれぞれだよ」と言ってくれるママ友達。ありがたかったですよ。でも、成長が少し遅いだけだと半分信じ始めたころに「自閉症診断」を受けたんです。ありえないよ…。

 

なにかが崩れ落ちたような、大事な何かを失ったような気がしました。

障害児育児への、孤独と寂しさを捨てたることにした

 

現在、子ども達は11歳と9歳になりました。

 

強度の自閉傾向を持つ娘(11)とマイルドな自閉傾向を持つ息子(9)を育てながら、あのとき崩れおちた何かや、失った何かは「要らなかったもの」だと思えるようになっています。

 

もちろん、この子達が自閉症ではなかったらどんな人生だったのだろうと考えることはありますが、その人生を手に入れることができなかったことに「悔しさや悲しみ」といったネガティブな感情を感じません。どうして感じないのか、それを考えてみたところ…ひとつの答えにたどりつきました。

 

私は、育児において…いえ、人生において非常に邪魔な思考である「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」を辞めたのです。辞めたというよりは、捨てました。ぶっ飛ばしました。

「他人とくらべること」「周囲の目線を気にすること」を捨てる

 

「他人とくらべること」と「周囲の目線を気にすること」を捨てることって、大事なことだとわかっていて出来ていない人が結構いるんですよね。

 

私も、そうした人間のひとりでした。

他人とくらべること

他人と比べることを辞めました。育児のことだけではありません。

 

自分自身の容姿のことや、経歴のこと、年収や、育ちのことと、そして離婚のこともひとり親のことも、ありとあらゆることにおいて他人と比べることを辞めました。比べたところで「得」が少ないことに気が付いたのです。

 

日本はとくに「他人と同じであること」を求められる同調圧力的な雰囲気が強いですよね。

 

同じ日本人でも、意見も、見た目も、考えも、育ちも違うことが当たり前で、生きかたは多種多様だとみんなが分かっていても、の意識のどこかに「幸せの基準」みたいなものが準備されているような気がするんですよ。それが同調圧力。

 

その幸せの基準から、はみ出したら「大変なことになるぞ!急いで戻ってこーい!」的な考えがどこかにある気がするんです。

 

でも、幸せの基準なんて人それぞれ。だから他人と比べるなんて無駄なんですよ。他人と違うという、そんな無駄なことで凹んでるなんて、時間の無駄、感情の無駄、無駄、無駄、無駄と思うようになりました。

周囲の目線を気にすること

周囲の目線を気にすることも辞めました。自閉症児の育児をしていると、周囲の目線が気になることが増えます。

 

スーパーで急に大声を出したり、踊りだしたりする自閉っ子たちに対して、ついつい人の目が気になってしまうんですよ。でも、そうした「周囲の目線を気にすること」を辞めました。

 

周囲の目線を気にするのには、理由があるんですよ。

  • 他人の評価が気になる
  • 他人を怒らせたくない
  • 他人に嫌われたくない

 

でもね、知らない誰かに評価して認められたいわけでもないし、知らない誰かに怒られたとしても「怒られるほどの悪いことをしていたのか?」一度考えてみて欲しいんです。

 

自閉症児が騒いでしまうのは、その子が悪いのではありません。そうした生き方の違いや抱えている障がいへの配慮がない社会が悪いのでは?と思うようにしました。

そうした考え方で嫌われたとしても、私は子どもの抱えている障がいについて世間に頭を下げて歩くような母親になりたくないのですよ。子どもを守ってやることも出来ないような、大事な何かを犠牲にしてまで守りたい世間体が私にはなかったんです。

「自分の生きかた」を大切にすること

 

自分の愛する人を幸せにできていれば、知らない誰かにどう思われてもいいじゃないですか。「子どもが自閉症で可哀そう」と思われても、自分の生活を可哀想にするのかどうかは自分次第です。

 

それに、「自閉症の子の行動が迷惑だ」と怒られても、生まれ持った生きかたについて配慮も思いやりもなく、ましては知ろうともしてくれない人が公共の場で赤の他人に怒るその行動こそ迷惑なのです。

そんな人にどう思われてもいいですし、好きに思ってくださって結構。そんな些細なことに心を痛めている時間なんて勿体ない。

 

人生は一度きりです。障がいのある子を育てているって悲しいことではなくて、物凄く大変で素晴らしいことをしているんですよ。

 

大切なのは「自分の生きかた」です。誰かの基準で生きるでもなく、他人の評価に怯えるでもない。自分が過去の自分より成長しているのか、幸せを感じれる人間になっているのかといった「自分の生きかた」を大事にすべきですよ。

まとめ

 

「みんなと違う」とか「普通はこうだ」といった生きかたの基準なんてないんです。障がいだって、配慮が必要である生きかたのひとつなんです。堂々としていればいい。

 

堂々と幸せでいるために、親がしてやれることってなにがあるんでしょう。私は、好きか嫌いかで物事を選び、その選んだものに責任をもつこと。たとえ判断ミスだとしても他人のせいにしないこと。そうした自由な生き方を選びたいと思っています。

 

今日は、ここまで~♪

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