自閉症児のパニックに思う|毎日が失恋みたいで、愛あるところに悲しみあり

何度経験しても、自閉症のパニックには慣れない。
たとえ、我が子だとしても。
いつも悲しくなり、子ども達と一緒に泣いてしまう。

 

自閉症児特性が引き起こすパニックによって、愛する我が子に傷つけられるなんて、まるで失恋のようだと思ってもらいたい。失恋のような、愛を失う苦しみが頻繁に繰り返されるなんて想像がつきますか。

 

今回は「自閉症の我が子がパニックになったときの母親の気持ち」を綴るために筆を執りたいと思います。繰り返される失恋のような傷つきに、愛と悲しみはセットなのだと思うようになりました。

自閉症児のパニック|母として思うこと

娘は、支援者と私の両方がいる場でパニックになることがあります。(送迎時のときが多いかな)

 

そのときに、いつも思うのは「支援者の人って冷静だな」ということ。

 

娘がパニックになると、私はいつも

  • なぜ、この子はもがき苦しんでいるんだろう
  • なぜ、自分を傷つけるのだろう
  • なぜ、母親に攻撃し続けるのだろう

と感じてしまい、悲しみと苦しみで胸がはち割けそうになります。

 

支援者の方々は、あんなにも荒れ狂う人間(娘)を見ても常に冷静。勿論そこには、プロフェッショナルという理由もあるでしょう。ただ、パニックを起こす子に対して冷静でいれるのには、その関係性に「愛」があるかどうかも大きく関係しているはずです。

 

それは、けして悪いことではなく、むしろいいこと。他人ごとだからこそ、第三者の視点で冷静に判断出来ます。

 

一方、母親である私は10年以上娘のパニックを見ているのに全く慣れません。物理的に噛みつかれ痛いから泣いているのではなく、感情的になって泣いているのでもありません。言葉では上手く説明できない、今まで生きてきた中で味わったことのない伝えようのない感情なのです。

 

だからでしょうか。誰かに一生懸命に娘のパニックについて説明しても、どこか伝わっていないような気持ちになります。

自閉症児がパニックを起こすと、毎日が失恋みたい

愛する我が子に傷つけられる悲しみは、失恋と近しいのかもしれない。

 

失恋のような、突然に愛する人から別れを告げられたときの悲しみと、最愛の我が子に傷つけられる悲しみは、どこか少し似ているのかもしれないなと思うようになりました。

 

あなたの笑った顔がみたいのに…
あなたに愛されたいのに…
私はあなたを、誰よりも愛しているのに…

 

そんな気持ちが共通しているなと感じます。

 

親になる喜びをと愛情を教えてくれた我が子が、急にパニックになりのた打ち回っている。そこには、たとえ親であっても上手く救いの手が差し出せない。どうしたら、その暗闇から救い出してあげることが出来るでしょうか。

 

育児は思い通りにはいかないとは聞くけれど、自閉症児育児は想像を遥かに超えるほど思い通りに行かない

愛あるところには、悲しみがあるものです、ときに憎しみも…

自閉症児と毎日をつつがなくやり過ごすのは、けして楽なことではありません。妊娠中には想像した育児ライフとは全く違う日々が待ちかまえています。

 

私のキャパシティを遥かに超える自閉症児育児なのに、周囲からは「あなただから出来る」と言われる。他の人の方がもっと上手く育児(支援)出来ることくらい、とおの昔に理解しています。

 

辛いし逃げたいうえに、他の人の方が上手く育児出来るのなら、私には育児放棄するという選択肢だってある。放棄というと語弊があるけれど、本当に逃げ出したいと思えば何かの制度を活用すれば(なんだよ!?)施設に預けることも出来るだろうし、離婚するときに養育権・親権を放棄することも出来たはず。

 

でも離婚するとき、必死になって養育権・親権を守ったのは、この子達が私にとって何より大切だったからです。この子たちとの暮らしには悲しいことや、ときに憎しみもあるのに愛しています。愛がなくなれば楽なのだろうか…と考えるこの状況は、やはり失恋のよう。

 

実はゴールデンウィーク中に、娘と息子を家に置いたまま家出しました。

 

ママ帰ってくる?」と玄関先で不安そうに聞いた息子に「多分」と冷たい言葉を放った私。最悪だとは分かっているけれど、あのときは理性を失うギリギリのラインだった。育児から離れたかったし、逃げたかった。

 

もう嫌だ」と思って家を出たはずなのに、頭の中は子ども達のことばかり考えます。ふたりが取っ組み合いになり怪我していたらどうしようと心配する一方で、このまま消えてしまいたいなと葛藤を繰り返していました。

 

結局、10分程で帰宅。

 

この生活から逃げたいと思っても、私はこの子たちの元へ帰ってしまう私の家族愛には「悲しみ」や「憎しみ」が常にセットなのです。

自閉症児の親の生き方を考える

障害児は、選んで産むのではなく偶然度100%です。

 

障害児を産んだ親は奈落の底に落とされたうえに、一般的な育児より世話の量が多い暮らしを余儀なくされる。さらに、育児の終わりの目途が立たないままです。

 

***

 

現在、障害を抱える子どもへの支援は多いのだけれど、その親への支援はほとんどありません。その過酷さは、個人の努力だけで埋めなければならないのでしょうか。人一倍忙しい毎日をこなし、奈落の底に落とされ傷付いている私が、自力で?

 

この問題は、このままでいいのだろうか。福祉の支援や制度さえ増えれば、解決する問題なのだろうか。福祉の仕事や制度が増えていくのを横目に見ながら、その多くが自分の元に届いてこないことをどう受け止めるべきなのでしょうか。

 

子どものことは愛しているけれど、本当に毎日悲しくて苦しい。障害児育児をする人たちの経験談や実体験を、社会全体に「大変なこと」「助けが必要な人たち」として、認識してもらう何かが必要な時期に差し掛かっているのだと思う。

 

多様化な人種や宗教、国籍や人種を受け入れるダイバーシティを目指しているのならば尚更、固定概念や風習を変えていく努力を惜しまないようにすべきだと思う。

 

そうでなければ「結婚して当たり前」「夫婦は男女で当たり前」「義務教育は、定型発達児を基準に組まれる」「何を抱えていようと就労して当たり前」といった、ガッチガチの固定概念の風習のままです。変わらなければ、誰かが作った「普通の基準」から外れることを怖がる若者が、これからも増え続けることになるのだから。

 

自閉症児のパニックを受け止めるのは、失恋を受け入れるのと似ているのかもしれないなと、ふと思いツラツラと書き綴ってみました。

 

今日はここまで。

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