発達障害の支援をこじらせる|鵜呑みにしてはいけない怖い言葉たち

「様子を見ましょう」
「気にし過ぎだよ」

 

発達障害のお子さんと暮らすご家族なら何度か、このように声をかけられたことがあるのではないでしょうか。

 

優しい言葉にきこえますが「生きづらさを抱える子どもたち」にとっては、デメリットがあまりに多いと感じます。

 

今回は、発達障害の支援をこじらせる「鵜呑みにしてはいけない怖い言葉」について考えたいと思います。

 

さおり

私ですか?

ひとり親×自閉症児2人育児の、ごく一般的なお母さんです!

 

発達障害の支援をこじらせる|鵜呑みにしてはいけない怖い言葉たち

「様子を見ましょう」
「気にし過ぎだよ」

 

支援児を育てる中で、幾度この言葉をかけられてきたことだろう…。

 

日々の暮らしに、人一倍不安を抱える子たちにとって「様子を見られること」って、とてもつらいことのはず。

 

発達障害を抱える子たちにとって、いち早く不安を取り除いてあげることや頼れる場所をみつけることは本当に大切。それに、日々成長し続ける子どもたち。成長の視点で考えると、30歳の人にとっての3年間と、3歳の子にとっての3年間は大きく違うはずです。

 

専門知識を正しく理解している人ほど、様子見という対処をとらないし、「気にしすぎ」とはいわない。「様子見」で支援が手遅れになるリスクを数多く見てきているはずだから。

 

とはいえ、医師は子ども日々の暮らしを知らない。だから、親や支援者からきちんと傾聴する必要がある。自分で対応できないと思えばすぐに、より詳しい専門家を紹介してくれました。医療に詳しいからこそ「様子見」が、二次障害に繋がることもよく分かっているのでしょう。

 

きっと、医療における「様子を見る」とは、風邪や怪我といった一時的なものに使う言葉。「今回は、この薬でやってみましょう」という根拠のある提案があり、それでダメなら次の策も想定出来ているからこそ有効となる言葉なのだと、私は考えます。

母親の経験談の効果について

障害児を育てたことのある、先輩ママの経験談はどうでしょうか。

 

「○○療育がいいよ」
「偏食にはサプリがいいよ」
「特別支援学校がいいよ/特別支援学級の方がいいよ」

 

障害児を育てていると、こうした会話もよく聞きます。一体どれが正しいのでしょうか。誰も嘘をついているわけではないですし、同じ障がいを抱える子を育てる親として、相手を思いやった言葉のはずです。

 

これも、「何が正しいのか」という問題ではなく、「その子にとっては、どういった支援が必要なのか」を考えることで、正解が大きく分かれます。

 

発達障害といっても、その子その子に必要な支援は大きく異なります。ママ友同士で、簡単に答えが出るものではありません。

 

育児経験がどんなに長くても、どんなに苦労して立派に育てたとしても、育児の経験論と専門知識を持った医師の視点は別物だと、私は考えます。

 

医師は知識はあるけど、その子の暮らしを知らない。
家族は、集団の中での我が子の過ごしを知らない。
支援者は、その子の家での暮らしを知らない。

 

だから、関わりのある人全てで連携をとり「この子はどう生きたいのか」を考えたいですし、それが結果として「その子の生きやすさ」と「家族の過ごしやすさ」に直結するはずではないでしょうか。

 

一方的に何かの支援方法を信じすぎているママ友の意見も、少々怖く感じてしまいます。情報はありがたいですが、当事者であるその子を囲む全ての人で考えなければ、支援方法が商材のように1人歩きしているときがあります。

 

ママ友同士での意見交換を批判するつもりはありません。同じ境遇同士のママ達で共感しあうことも、気持ちを吐き出すうえではとても大切。だけど、他所の子どもに見合った支援や療育・薬が、自分の子どもに合うかどうかなんて「ママ友会」の中で見つけれるはずがありません。

発達検査の点数について

よく、発達検査の点数に一喜一憂する親も見かけますが、私は検査の点数でショックを受けたことは正直ありません。

 

成長曲線の凸凹の多さに「こんなにも生き辛いのだな」とは感じたことはありますが、一時のテストの点数が「これからのこの子の生き方」に大きく影響するとは思えません。

 

発達検査の点数よりも、その子を取り囲んで世話をする人達から聞き取った日常生活や行動の方が、何倍も医師の持っている医療的専門知識に役立つはず。

 

しかし、福祉と医療・教育があまりにも分断され過ぎているし、テストの点数でしか判断できないケースも多いのが現実。それを、ことあるごとに取り纏める親の役割ってあまりにも負担が大きい。

 

本来は、みんなでチームとなって動いてほしいし、現在母親が取りまとめている負担を丸投げできるプロがいればいいのだけれど、そこは責任があまりにも大きいことなのかな。リスクより責任を負うことを嫌う日本の制度では、まだまだ難しいのかもしれない。

制度が、時代にあってないのでは…

発達テストの点数何て、何の指標になるのか正直なところよく分からない。その他にも、支援を受けるための膨大な書類の書き込みも負担でしかない。「寝がえりはいつか…」「首座りはいつか…」と、思春期に突入した今でも、毎年聞かれることに、そんなに大きな意味があるとは思えない。

 

それより、今ですよ。発達障害を抱える子の行動や環境を、その子を取り囲むみんなで共有し考えたい(共有してメモするだけはまた意味が違います)。考えることで、次の課題が見えてきたりするわけですし…。

 

支援を使うための「支援会議」、制度を利用するための「資料作成」。人手不足の現代に、そういうのもうやめようよ…そして、最終的には支援も世話も「家族に丸投げ」にするなんて、これ支援なの?

 

時代は令和です。スマホに電子決済に、多くのことはアプリケーションやインターネットが解決してくれます。福祉も、令和にアップデートしてほしい!

最後に、母として…

個人的には母親として、ただひたすら愛情を与えれるよう、母専門のカウンセリングが普及するといいな〜などとも思います。

 

なぜか?

 

たとえ、お母さんが「専門的な福祉の知識」や「医療の見解」を持っていなくても、子どもはそれで母親を恨んだりしない。だって、子どもがお母さんから欲しいのは、安定した笑顔と愛情なのだから。

 

今日は、ここまで!

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